2021年02月07日
穂積市長マニフェスト検証3
2月4日、企画政策課、土木課、公共交通対策室から回答(3時間かかりました)を受け取りました。
企画政策課には、「エンジンとしての四つの機構の内、賢人会議、公共商社がエンジンとして動いていないのに新城の難題は解決できるのか?」「名古屋に設置したアンテナショップで名古屋との関係強化は進んでいるのか?」等を質問しています。
企画政策課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。
穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである。
新城版賢人会議は、しんしろ創生会議と名前を変えているが、そのしんしろ創生会議が、穂積市長マニフェスト実現のために提案している。
その提案が、穂積市長の「人生100年時代の豊かな暮らしづくりに挑戦するため、若者に負担をかけない長寿社会の構築について」という諮問に対して、答申された「3本柱の施策」である。
「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」が3本柱の施策である。
以上が回答です。書けば非常に短いのですが、回答に対する質疑応答に時間がかかり、予定の一時間ではここまででした。残りの回答は後日受け取ることになりました。
今回の質問を通して、ますます疑問が沸き上がっていますが、穂積市長マニフェストが動いていることを証明しなければならない(宮仕えとしての大変さ?)という担当課の思いは伝わります。
僕の判断では、第二次総合計画と穂積市長マニフェストに、それほど関連性が出てきません。
総合計画は130ページを超える計画となっています。詳細は個別計画でということかもしれませんが、総論的な計画ですので、「穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである」と言うことも可能です。解釈すれば、「ここのところにマニフェストの思いがある」と言えるということです。
新城市では、第二次総合計画が策定(実施期間:令和元年度~令和12年度)され、その計画に基づき市政が動いているはずです。この計画の策定担当課が企画政策課となっています。
計画策定が対外的に動き始めたのが、総合計画審議会の初会合となったH29年3月1日ということになります。
市長選がH29年10月29日でした。新城市の規定の通り、穂積市長の市長選マニフェストが第二次総合計画に反映されるはずでしたが、どこに反映されているのかわかりません。
第4期マニフェストの骨格となっていた、4つの機構も、その4つの機構をエンジンとした諸施策の実施で実現を約束した4年間で1000人の雇用増という目標も、今回質問している他の項目の多くも、明確な記述が見当たりません。
3年数カ月前の市長選の有無を無視したかのような総合計画が策定され、市政は粛々と動いていると感じます。
穂積市長は、マニフェスト選挙を自認してきたと思っていましたが、市長選マニフェストが反映されなくて、総合計画が新城市の最上位計画と言えるのでしょうか?
もし、マニフェストが総合計画に反映されており、具体的には毎年度の個別計画で実施されているとします。
そうだとすれば、就任直後に、賢人会議がエンジンとして動き始めることができるように、具体的に計画され、年度毎に見直しが行われ、市民に約束した成果を上げているはずです。
現実はどうだったでしょうか?
市長選がH29年(2017年)10月29日、賢人会議(以下、創生会議)への市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月でした。
市長選から答申までに2年4カ月くらいが過ぎていました。この段階で、任期4年の半分以上が過ぎていることになります。
答申があってやっと、具体的な計画に動いていくはずですが、答申された3本柱にも疑問が生じます。
3本柱をそれぞれに見ていきます。
「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」についてです。名古屋大学医学部と新城市が包括連携協定を結び、既に新城市内で、遠隔地医療、ドローンを使った遠隔地への輸送対応などの実践を始めています。
奥三河メディカルバレープロジェクトについて、愛知県の市の中で最も高い高齢化率(3割強)となっている新城市が、愛知県の他市が今後迎えるだろう超高齢化社会に対して、健康寿命を延ばし人生100年時代を豊かに過ごすための試行自治体に選ばれたプロジェクトだと理解しています。
このプロジェクトは、国の支援を受けた民間企業との協同事業ということです。
医療機器の開発、ドローンなどの有効活用を探るなど、名古屋大学の学術研究だけでなく、民間事業者にもメリットが期待できるものです。
流れを見れば包括連携協定は、新城市の努力というより、新城市の高齢化という難題に名古屋大学が目を付けたということだと思います。
さらに、創生会議が目を付けて、3本柱の一つとして提案したということになります。
包括協定締結が、H28年(2018年)8月20日、市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月の流れからは、市長、創生会議が、このプロジェクトに飛びついた格好です。
奥三河メディカルバレープロジェクトは、創生会議の存在の有無に関係せず、外部の力で動いている事業と考えられます。人のふんどしで相撲を取る、というように見えてきます。
2本目の柱です。「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」についてですが、新城市では、既にコミュニティービジネスの支援を始めています。
支援があるものの、簡単に進む事業でないことがはっきりしていますが、創生会議が、この事業の後押しをしたということであったと理解しました。
敢えて創生会議の提案を待たなくても、穂積市長自慢の「地域自治区」と庁内各課との連携で、高齢者の生きがいにも結び付くようなコミュニティービジネスを実現させることができます。地域自治区には、支援をしているのですから。
この柱も、創生会議の提案に頼る事業ではなく、新城市として進めている事業を、自ら具体化させるべき事業であったと考えます。
3本目の柱です。「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」についてです。
新城市は、令和元年6月3日に新城市生涯現役促進地域連携協議会の事業推進事務局の事務所を開設しています。
報道機関への市長説明では、「この事業は厚生労働省の委託事業であり、高年齢者の能力を生かした、地域のための雇用を創出するため、本市と地域関係者が協働して進めているものです」となっています。
創生会議の答申が令和2年ですから、市長は、答申を受ける前に、答申内容の実践を始めていたことになります。
結局は、マニフェストで掲げてしまった創生会議というエンジンを、ほおっておくこともできず、設置という既成事実が必要だったと言えそうです。
穂積市長になって、様々な審議会(有償委員で組織)、自治基本条例をはじめ様々な条例を作り、「やってます」という姿勢を対外的に表明してきました。
市長というリーダーが、審議会に責任を委ねたり(本来は自らの頭で考え提案し責任を持つべき)、市民の要望が無くても上から目線での条例を作ってきました。
「自治」を標榜する市長自らが、自分の頭で考えず、条例という形でしか市民、議会、職員の行動も規制できなかったということを示しているように見えます。
今回質問に絡んでくる第二次総合計画は、総花的で新城市独自の課題の深堀がないため、新城市の名前を変えれば、どこかの県の消滅可能性都市の計画に置き換えても違和感がないように考えています。
もっと、具体的に何を、いつ、誰が実行するのか、市民にもわかりやすいものにすべきです。
市民にもパブリックコメントをしていますが、大半の市民には、他人事の域を出ていないでしょう。これでは、市民のための計画ではなく、市長をはじめ職員のための計画となっています。
市長マニフェストも同様です。既に多くの市民の頭から離れているでしょう。選挙で選ばれたマニフェストの軽いことに泣けてきます。
「自治」というのであれば、総合計画にしろ市長マニフェストにしろ、計画は市民自身のものになる必要があります。市民が実践者と感じられる計画に練り上げていくということです。
マニフェストの到達点評価は、市長の判断に委ねられている(点数制で評価していますが、有効性の評価にはなっていません)ように見えます。成果があったのかというより、やったか、やれていないかという主観的評価になっています。
そのため、市民の関心を遠ざけ、計画の見直しも後回しになっているのではないでしょうか?
第一次総合計画策定の時には、たびたびPDCAで計画の有効性を高めていくと言っていたと思います。
P(計画:Plan)、D(実行:Do)、C(評価:Check)、A(改善行動:Action)のことです。
現状がどうなっているか詳細まではわかりません。しかし、市長マニフェストの進行経過を見る限り、スタートとなる計画策定が遅く、その内容に具体性がありません。
今の状態では、D(実効)に進むこともできず、当然ですがC(評価)、A(改善行動)に進む前に、1期4年が終わってしまいます。
長くなりましたので、今回はここまでとします。
企画政策課には、「エンジンとしての四つの機構の内、賢人会議、公共商社がエンジンとして動いていないのに新城の難題は解決できるのか?」「名古屋に設置したアンテナショップで名古屋との関係強化は進んでいるのか?」等を質問しています。
企画政策課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。
穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである。
新城版賢人会議は、しんしろ創生会議と名前を変えているが、そのしんしろ創生会議が、穂積市長マニフェスト実現のために提案している。
その提案が、穂積市長の「人生100年時代の豊かな暮らしづくりに挑戦するため、若者に負担をかけない長寿社会の構築について」という諮問に対して、答申された「3本柱の施策」である。
「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」が3本柱の施策である。
以上が回答です。書けば非常に短いのですが、回答に対する質疑応答に時間がかかり、予定の一時間ではここまででした。残りの回答は後日受け取ることになりました。
今回の質問を通して、ますます疑問が沸き上がっていますが、穂積市長マニフェストが動いていることを証明しなければならない(宮仕えとしての大変さ?)という担当課の思いは伝わります。
僕の判断では、第二次総合計画と穂積市長マニフェストに、それほど関連性が出てきません。
総合計画は130ページを超える計画となっています。詳細は個別計画でということかもしれませんが、総論的な計画ですので、「穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである」と言うことも可能です。解釈すれば、「ここのところにマニフェストの思いがある」と言えるということです。
新城市では、第二次総合計画が策定(実施期間:令和元年度~令和12年度)され、その計画に基づき市政が動いているはずです。この計画の策定担当課が企画政策課となっています。
計画策定が対外的に動き始めたのが、総合計画審議会の初会合となったH29年3月1日ということになります。
市長選がH29年10月29日でした。新城市の規定の通り、穂積市長の市長選マニフェストが第二次総合計画に反映されるはずでしたが、どこに反映されているのかわかりません。
第4期マニフェストの骨格となっていた、4つの機構も、その4つの機構をエンジンとした諸施策の実施で実現を約束した4年間で1000人の雇用増という目標も、今回質問している他の項目の多くも、明確な記述が見当たりません。
3年数カ月前の市長選の有無を無視したかのような総合計画が策定され、市政は粛々と動いていると感じます。
穂積市長は、マニフェスト選挙を自認してきたと思っていましたが、市長選マニフェストが反映されなくて、総合計画が新城市の最上位計画と言えるのでしょうか?
もし、マニフェストが総合計画に反映されており、具体的には毎年度の個別計画で実施されているとします。
そうだとすれば、就任直後に、賢人会議がエンジンとして動き始めることができるように、具体的に計画され、年度毎に見直しが行われ、市民に約束した成果を上げているはずです。
現実はどうだったでしょうか?
市長選がH29年(2017年)10月29日、賢人会議(以下、創生会議)への市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月でした。
市長選から答申までに2年4カ月くらいが過ぎていました。この段階で、任期4年の半分以上が過ぎていることになります。
答申があってやっと、具体的な計画に動いていくはずですが、答申された3本柱にも疑問が生じます。
3本柱をそれぞれに見ていきます。
「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」についてです。名古屋大学医学部と新城市が包括連携協定を結び、既に新城市内で、遠隔地医療、ドローンを使った遠隔地への輸送対応などの実践を始めています。
奥三河メディカルバレープロジェクトについて、愛知県の市の中で最も高い高齢化率(3割強)となっている新城市が、愛知県の他市が今後迎えるだろう超高齢化社会に対して、健康寿命を延ばし人生100年時代を豊かに過ごすための試行自治体に選ばれたプロジェクトだと理解しています。
このプロジェクトは、国の支援を受けた民間企業との協同事業ということです。
医療機器の開発、ドローンなどの有効活用を探るなど、名古屋大学の学術研究だけでなく、民間事業者にもメリットが期待できるものです。
流れを見れば包括連携協定は、新城市の努力というより、新城市の高齢化という難題に名古屋大学が目を付けたということだと思います。
さらに、創生会議が目を付けて、3本柱の一つとして提案したということになります。
包括協定締結が、H28年(2018年)8月20日、市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月の流れからは、市長、創生会議が、このプロジェクトに飛びついた格好です。
奥三河メディカルバレープロジェクトは、創生会議の存在の有無に関係せず、外部の力で動いている事業と考えられます。人のふんどしで相撲を取る、というように見えてきます。
2本目の柱です。「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」についてですが、新城市では、既にコミュニティービジネスの支援を始めています。
支援があるものの、簡単に進む事業でないことがはっきりしていますが、創生会議が、この事業の後押しをしたということであったと理解しました。
敢えて創生会議の提案を待たなくても、穂積市長自慢の「地域自治区」と庁内各課との連携で、高齢者の生きがいにも結び付くようなコミュニティービジネスを実現させることができます。地域自治区には、支援をしているのですから。
この柱も、創生会議の提案に頼る事業ではなく、新城市として進めている事業を、自ら具体化させるべき事業であったと考えます。
3本目の柱です。「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」についてです。
新城市は、令和元年6月3日に新城市生涯現役促進地域連携協議会の事業推進事務局の事務所を開設しています。
報道機関への市長説明では、「この事業は厚生労働省の委託事業であり、高年齢者の能力を生かした、地域のための雇用を創出するため、本市と地域関係者が協働して進めているものです」となっています。
創生会議の答申が令和2年ですから、市長は、答申を受ける前に、答申内容の実践を始めていたことになります。
結局は、マニフェストで掲げてしまった創生会議というエンジンを、ほおっておくこともできず、設置という既成事実が必要だったと言えそうです。
穂積市長になって、様々な審議会(有償委員で組織)、自治基本条例をはじめ様々な条例を作り、「やってます」という姿勢を対外的に表明してきました。
市長というリーダーが、審議会に責任を委ねたり(本来は自らの頭で考え提案し責任を持つべき)、市民の要望が無くても上から目線での条例を作ってきました。
「自治」を標榜する市長自らが、自分の頭で考えず、条例という形でしか市民、議会、職員の行動も規制できなかったということを示しているように見えます。
今回質問に絡んでくる第二次総合計画は、総花的で新城市独自の課題の深堀がないため、新城市の名前を変えれば、どこかの県の消滅可能性都市の計画に置き換えても違和感がないように考えています。
もっと、具体的に何を、いつ、誰が実行するのか、市民にもわかりやすいものにすべきです。
市民にもパブリックコメントをしていますが、大半の市民には、他人事の域を出ていないでしょう。これでは、市民のための計画ではなく、市長をはじめ職員のための計画となっています。
市長マニフェストも同様です。既に多くの市民の頭から離れているでしょう。選挙で選ばれたマニフェストの軽いことに泣けてきます。
「自治」というのであれば、総合計画にしろ市長マニフェストにしろ、計画は市民自身のものになる必要があります。市民が実践者と感じられる計画に練り上げていくということです。
マニフェストの到達点評価は、市長の判断に委ねられている(点数制で評価していますが、有効性の評価にはなっていません)ように見えます。成果があったのかというより、やったか、やれていないかという主観的評価になっています。
そのため、市民の関心を遠ざけ、計画の見直しも後回しになっているのではないでしょうか?
第一次総合計画策定の時には、たびたびPDCAで計画の有効性を高めていくと言っていたと思います。
P(計画:Plan)、D(実行:Do)、C(評価:Check)、A(改善行動:Action)のことです。
現状がどうなっているか詳細まではわかりません。しかし、市長マニフェストの進行経過を見る限り、スタートとなる計画策定が遅く、その内容に具体性がありません。
今の状態では、D(実効)に進むこともできず、当然ですがC(評価)、A(改善行動)に進む前に、1期4年が終わってしまいます。
長くなりましたので、今回はここまでとします。
Posted by みちひろ at 14:04│Comments(0)
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