2021年03月06日

穂積市長マニフェスト検証11

ここまで穂積市長マニフェストを検証してみて、穂積市長にもてあそばれていると思えてしまう新城市の問題点が見えてきたように考えています。

穂積市長自身の強い願いで制定された「公開政策討論会条例」の問題点です。

公開政策討論会条例制定に、前回の市長選の公開討論会の取り組みが起点になったと言われていますが、疑問があります。

もしかしたら、穂積市長は、当初から条例制定を視野に入れて動いていたのではないかという疑問です。

前回の市長選の前にやり取りした僕との間で、どうしても譲らなかった点がありました。

山本氏がなかなか合同討論会に合意しなかったので、二人で始めようといくら求めても、3人の合意にこだわりました。

ネット公開討論会を提案しても、絶対その提案は拒否しました。

公開政策討論会があるとの理由で、公開質問状への回答は拒否しました。

「公平・公正」が大事だということで、実行委員会形式での準備となりました。もしかしたら、穂積市長にとっての想定内?

結果、3人の公開政策討論会は、市長選告示前に新城・鳳来・作手地区各1回、告示後1回に集約されてしまいました。

それも、告示前の公開政策討論会は、告示前1ヵ月もない、直前の開催でした。

前回の公開政策討論会は、穂積市長の強調した「公開政策討論会があるから、公開質問状には答えない」という主張に見られるように、逆に候補者間の自由な政策討論を制限させるための手段だったように思います。

それでも、穂積市長は、この経験が素晴らしかったと自画自賛し、自分が条例提案までしているのです。

条例制定までを見越して、前回の市長選を進めていたのかもしれません。

市長選が終われば、条例提案に動いていました。

既に、「選挙はまちづくり」という本まで出しているのです。

この本の編者は、松下啓一氏(元相模大学教授)、共同執筆者は、穂積市長、田村太一氏(㈱田村組社長)、鈴木誠氏(愛知大学教授)です。

松下氏は、新城市での自治基本条例制定準備段階から関わっている方です。自治基本条例制定に対する考え方が、僕とは違っていました。まず自治基本条例を作ろうとする松下氏と、条例ありきではなく、自治活動の先に条例を位置付けるべきという僕の考え方の違いです。

田村氏は、穂積市長の懐刀みたいに寄り添っています。穂積市政で、初代自治振興事務所長も経験しています。

前回の公開政策討論会の準備委員会の代表を務めていました。現職の㈱田村組の社長です。穂積市長との関係がこれまで深いと、その関係に疑問を感じてしまいます。

鈴木誠教授は、自治市民会議の会長として、公開政策討論会条例の議論を進めていました。自治基本条例に基づく住民投票を求めた時、自治市民会議に市長から住民投票に対する諮問がされましたが、この時の市民自治会議の会長も務めていました。

この時の住民投票請求の審査に不安を感じ、住民投票請求を取り下げました。

住民投票は、地方自治法に基づき、再出発しました。自治基本条例で保障されていた住民投票の条項は、市民に有利には適用されない危険があるものでした。

解釈次第で、住民投票請求自体が無効と判断されてしまうという危険性です。

以上の様に、「選挙はまちづくり」の本は、穂積市長と関係の深い人間が関わり、「公開政策討論会条例」制定にも大きく関わったということでしょうか?穂積市政がごく限られた人間で動かされているように思えています。

「公開政策討論会条例」の議論が、市民自治会議で始まっているということは、知人から聞いていました。

「公開政策討論会の前にやるべきことがあるのに。またパフォーマンスが始まったか」と思っていました。

市民自治会議で何回かの会合がもたれたものの、ただの一度も当事者としての僕の意見は聞かれていません。

当事者の意見も聞かずに、市民自治会議の委員だけの解釈で、それも制定ありきで議論は進められていました。

条例案は、行政職員が条例の骨組みを提案し、初めから市民の要望抜きの条例作りが進んでいたということです。

「市民が主人公」と言いながら、様々な条例、自治組織づくりは、市民の頭越しに進んでいます。市長がやると言えば無理してでもやってしまう状況です。僕には、民主主義を装った独裁者のように見えています。

今回の条例制定も、民主主義の手順を踏み、議会での議決も経ています。市長が提案すれば、その提案がほとんど(過去15年間で数件はあったと記憶しています)否決されない新城市議会です。

公開政策討論会条例の議案は、昨年の6月議会に提案され、賛成多数(反対は、浅尾、澤田、滝川、丸山、山口、山田議員)で可決されています。次の選挙には間に合ったということでしょうか?

議会での反対討論では、「市民自治会議にご参加いただいている有識者の意見でも、公職選挙法との絡みでこれに抵触しないか、逸脱しないかの問題もある。地方自治体のチャレンジ、条例は初の試みなどの議論の端々に条例ありきがみられる」(澤田議員)

「市民自治の立場より策定され提案に至っていない。市議会議員の関心も少ない。市民自治の醸成を図ることの方が大事」(山田議員)

「市の事務局の話では、5人の弁護士、官僚、大学教授の方々は、異口同音に否定的な意見を述べている。穂積市長が音頭をとって、グレーゾーン、アンタッチャブルな法律違反の恐れのある議案を成案にしようと前のめりで意気込んでいる。現職の市長が、その運営費を税金から執行するということは、公職選挙法で禁じられている寄付行為に当たる恐れがますますある」(浅尾議員)

賛成討論では、「当初、条例制定には否定的立場だった。条例化ではなく、市民の自主性により開催されるべきと考えていた。議会内での検討、議論が不十分な状況である。しかし、市民自治会議、庁内で十分な議論がされてきたことがわかった。今後の開催が危ぶまれる状況を解決するために条例が必要と判断した。条例から外れない限り法に触れることは無い、と市が明言された」(佐宗議員)

「市民の知る権利を充足するためには必要。主催者が公設といえども市民参加があることから、今までの討論会同様公平性の担保もできていることが確認できた」(柴田議員)

「市民団体で開催できるものをなぜ条例化するのかと疑問をもっていた。条例化しないと、市民団体だけの開催ではハードルが高くなり、市民意識醸成にもマイナスに働くことが多いと感じる。条例化で、それらの問題点を解消し、なおかつ運営に市民団体に委ねることが担保されている」(斉藤議員)

議会の議論は十分だったのか?議会の賛成・反対の討論はかみ合っていなかったように思います。

反対討論の様に、法に触れないのか、市民自治の観点からどうなのか、という点での議論はしつくされていないと考えられます。

賛成討論の特徴は、行政の支援がないと安定的な公開政策討論会が担保されない、法への抵触については、行政が大丈夫と言ったというお任せの姿勢(議会のチェック機能の放棄)です。

行政の支援がないと難しいというところに、新城市の自治の到達が見えます。

端的に言えば、穂積市長が自慢している「市民自治」が根づいていないので、誰かがやってくれないと自ら「知る権利」の行使ができないのです。穂積市長の自慢している市民自治が有名無実化している証明です。

市民自治らしきことに毎年多くの税金を使いながら、市民自治が根づいていないから、後から後から条例で後押しするしかないとなれば、本末転倒です。

このことを問題にするのではなく、納得してしまう議員たちが、市民の代表者なのですから、悲しい新城市の現実です。

「市民の知る権利を保障する」ことは当然のことですが、その大前提には、正確な情報の提供が必要です。また、市民が求めている情報を提供することが必要です。

公開政策討論会に正確な情報を伝える保証はありません。市民が求める情報が提供される保証もありません。

穂積市長は、これまで新城市長選に向けて、4回の政策討論会に参加しています。

今回、穂積マニフェストを検証してみて、多くの偽りの政策が掲げられていたと確信しています。

それでも、穂積市長は当選し、マニフェストが実現されていなくても、議会からは何の異論も上がってきません。

多くの市民は、マニフェストに何が書かれていたかを覚えていないのではないでしょうか?

残念なことですが、マニフェストに偽りがあっても公開政策討論会がなくても、大きな支障を感じないのが、新城市の自治の到達点と言っても言い過ぎではないでしょう。

いくら、公平・公正に運営がされたとしても、立候補予定者の資質により、市民の知る権利の保障にはなりません。

保障どころか、税金を使って、偽りのある情報提供の場を提供することになります。

1回だけの実施を基に条例化するというのは、あまりにも拙速な対応だと考えます。公開政策討論会条例の是非の前に、市民自治の醸成が必要不可欠です。

立候補予定者が、自らの頭で考えた政策と実現の道筋を示し、文字通り市民との約束として、マニフェストを市民に提案することが当たり前の市民自治が必要です。偽りを許さない市民自治が必要です。

市民が求めていない段階で、自治基本条例を作ったり、地域自治区を作ったり、公開政策討論会条例を作ったりしても、市民自治が進まないことは、新城市の歴史が証明しています。

庁内の議論も、市民自治会議の議論も、議会の議論も、市民自治の到達点の評価もしないで、公開政策討論会が「市民の知る権利の保障」だと強調しています。新城市のリーダーたちが、必要な議論を飛ばして、結論を急いでいます。

具体的に条例を読んでみました。問題と考えられる点を以下に述べます。

一番の疑問は、開催を決めるのが市長で、開催日は、任期満了の50日前となっていることです。

開催を決めるのは市長しかできないということになり、市民団体がやろうとしても、立候補予定者同士がやろうとしても、行政主催が優先されてしまうでしょう。結局、市民が主導を取れない公開政策討論会となる可能性があります。

しかも、任期満了の50日前という制限付きです。次期選挙に当てはめると、開催日は9月23日以降となります。告示日が10月24日ですから、公開政策討論会の実施期間は、わずか1ヵ月しかありません。

ごまかされたように感じますね。任期満了日は、投票日の後にやってきます。

わずか1ヵ月前では、市民に広く伝えることが難しく、「市民の知る権利の保障」を制限つけることになるでしょう。穂積市長のこれまでのやり方を見れば、公開政策討論会までに大方の票固めは終わっている頃です。

この点で興味深い情報がありました。僕の認識を裏付けるような情報です。

公開政策討論会検討作業部会という組織があったようです。部会長は、度々名前が出てきますが、㈱田村組社長の田村氏でした。

部会のまとめ文書の「開催時期の項」に、以下の記述(「」内)がありました。

「公開政策討論会を早くから企画立案することにより、選挙における論点が早くから明確になり、市民の市政及び選挙に関する関心がより高まる」

「立候補予定者の表明の有無に関わらず、少なくとも半年以上前には、開催に向け主催団体が動きだせるようにすることが望ましい」

「(過去の討論会における課題として)告示日直前の公開政策討論会は、市役所職員及びすでに支持が固まっている有権者の来場が多かったと思われる」

検討部会のまとめがあっても、条例では公開政策討論会開催は、告示日前1ヵ月程度と規定しました。

前回市長選の時、僕の出馬表明から公開政策討論会までの5か月くらいを、「公開政策討論会があるから公開質問状には答えない。ネット討論会もしない」という言い分を、条例が守ってくれることになりました。

あまり早く公開政策討論会が始まると、自分のマニフェストが市民間で議論される時間が長くなり、マニフェストの実現可能性に疑問が出てくることを心配し、検討部会の提案を無視したのでしょうか?

次の疑問です。基本原則に、「立候補予定者の市政に関する政策及びこれを実現するための方策について、市民の理解を深めることを目的とする」とありますが、条例でここまで踏み込んで良いのかという疑問です。

「参加の申出」には、「市政に関する政策及びこれを実現するための方策」を明記した書類提出を規定しています。

条例は法律です。守らなければならないものです。

市民の理解を深めることを目的とするのであれば、立候補予定者が示す「政策及びこれを実現するための方策」が夢のオンパレードでないことが前提でなければならないと思います。

そうでなければ、市民の理解を深めるのではなく、市民の誤解を広げることになってしまいます。

もし、この条例がありこれまでの穂積市長が市長選に立候補していたとすると、明らかに夢のオンパレードマニフェストであり、条例違反になってしまいます。

行政が関与すればするほど、選挙の中身まで責任を問われてしまうと思います。

「公開政策討論会の議論を判断材料にしたのに、何も実行されない。行政主導だったのだから、行政責任を取れ」と言われた時、どう対応できるのでしょうか?当選市長だけの責任にならないように思います。

次の疑問です。「開催の中止及び公表」には、「その他公開政策討論会を開催できないときは、公開政策討論会の開催の中止を決定」と規定されていますが、「その他」という事態の解釈が市長に委ねられてしまうという点です。

さらに、「公平性及び公正性の確保」では、「手続き及び運営が公平かつ公正に行われるように配慮しなければならない」と規定されており、あくまでも現職市長は「配慮」すればOKなのです。

「市民の知る権利の保障」が現職市長判断に委ねられかねない点に、条例の問題があると考えます。実施の可否の判断は、市民側に委ねられなければ、市民自治がますます形骸化されかねません。

以上の疑問の裏返しに、現職市長の有利さが見えてきます。

公開政策討論会条例により、「市民の知る権利」が制限されかねません。

前回の市長選投票日までの経過の中で、お互いの立候補予定者同士が、少しでも多くの政策議論をしなければ、市民の理解は広がらないと考えていましたが、穂積市長は、公開政策討論会を盾に、公開質問状に答えない、ネット上公開討論もしないでした。

山本氏は、自分で有権者に訴えるという理由で、公開質問状に答えない、ということでした。

新城市の最高のリーダーを目指す人間自身が、議論を避ける傾向がありました。この現実も市民自治の到達の低さを示しています。

今回の公開政策討論会条例が、公選法違反という指摘も受けながらも、制定されました。疑問があろうが、穂積市長にはどうしても条例化という強い意志があったようです。

どうせ条例化するのであれば、立候補予定者が嘘偽りのない対応を義務化して欲しかったと思います。

この義務化を、立候補予定者と市民が合意できれば、市民にとって公正・公平な選挙が実現できると思いたいのですが、条例に期待してもムダとも言えます。

本来は、自治基本条例に明記されている「(市政運営) 第19条 市長は、市の代表者として、市民の信託にこたえ、公正かつ誠実に市政を運営します」を守ってくれていれば、公平・公正な選挙は実現されています。

穂積市長の実績を見ると、立派な条例を作った当事者でありながら、その条例を守らないということが多々見られます。

もし、将来的に実現させたい公開政策討論会のあり方を問われれば、ネット上と地域自治区単位の対応がベストだと答えたい。

ネット上で、公開政策討論会のページを公的に立ち上げ、立候補予定者は必ず質問者であり、答弁者に登録しなければならないとします。

今回の公開政策討論会条例の基本原則にあるように、「立候補予定者は、公開政策討論会の趣旨を理解し、これに参加するものとする」という観点を大前提に、出馬表明を行うこととします。

ネット立ち上げは、事前にページの構成を確定(条例化しても良い)しておけば、出馬表明をもって公開開始とすればいいでしょう。

決めなければならない最低限のルールはあると考えますが、発言時間、発言回数、発言テーマなど決められた枠内での従来の公開政策討論会では、判断できないことも、ネット上に文書として記録されるので、何回でも立候補予定者同士の議論を読み返すことができます。

ただ、ネットに不慣れな方もおられますので、できるだけ身近な場所での開催として、地域自治区単位での対応も考える必要があります。

地域自治区単位にお願いすることは、場所の提供、設営の支援、当日の進行ぐらいでしょうか?運営方法は、何回かの経験を通してより良い形になっていくと思います。

おそらく、最初は混乱があるかもしれませんが、立候補予定者、有権者ともに、公開政策討論会の趣旨の理解を深めていく中で、運営も安定していくと考えています。

穂積市長たちが出した本の題名、「選挙はまちづくり」の様に、有権者自身が公開政策討論会を通してまちづくりを意識していくようになるでしょう。経験が、「自治」を育てることになります。

有権者誰もが、しがらみもなく、利権もなく、自らの判断で集まる公開政策討論会となれば、政策で選ばれることが当たり前になるのではないでしょうか?

本当に、「市民の知る権利を保障」したいのであれば、今回の条例は、それとは逆に現職市長の判断に委ねられ過ぎていると考えます。市民の関与は困難です。

穂積市長が、本気で「市民の知る権利の保障」を考えているとしたら、議会で可決されてから9ヵ月間、市民への周知努力を最大限果たそうとしていたのではないでしょうか。

もし、穂積市長が、次期市長選に立候補した時、有利になるのはやはり穂積市長になるでしょう。

多選批判が出たとしても、

「公開政策討論会条例を制定した。この成果を自ら検証させてください」とか、

「時代は大きく変わろうとしている。超高齢化社会、地球環境の保全と経済の両立。4期16年の経験を活かさせてください」とか、

「私がいなかったら、これだけの自治の進展はなかった。今後、育った自治が新城を自立させることができます。もう少し私に任せてください」などと、得意の話術で批判を抑えてしまうでしょう。

いくら公開質問状が出されても、公開政策討論会を盾に答えないでしょう。

公開政策討論会は、多くても3回になるだけです。それも1ヵ月しかありません。

マニフェストに偽りがあろうと、おそらく乗り切ることは可能です。4回の公開討論会を乗り切った実績がある人ですから。

公開政策討論会条例は、5期目を実現させるための手段だったのか?そんな意図がなかったと信じたいのですが。

穂積市長のマニフェスト検証をしてみて、これほど明確に約束違反を繰り返してきたのに、さらに市内に広がるあきらめの声が多いのに、なぜか穂積市政を替えたいという声が大きくなりません。

「自治」から自分の存在価値を植え付け、様々な条例づくりを続けながら、人脈を作りあげ、長期政権を維持できる環境ができあがったと思うことは、飛躍し過ぎでしょうか?

3月議会で、小野田総務消防委員長,中西厚生文教委員長、竹下経済建設委員長の代表質問(3月8日、10時から)の最初に、進退に関する質問があります。どの様な答弁が出てくるのか、興味は湧きます。

従来、同様な質問が繰り返されてきましたが、たいていは穂積親衛隊議員が、後方支援として質問してきました。

1期4年の成果があったと持ち上げ、次も頑張って欲しいという質問でした。今回は、1期4年という視点だけでなく、4期16年もの長期間の市政運営も問う必要があると思います。

あれもやった、これもやった(4期も市長をやったのだから、やったことは当然あるでしょう)ということが必要でなく、新城市の抱える問題がどの様に解決できたのかという点が重要です。

まともな質問をしようとすれば、これだけで規定の60分でも足りないと思いますが、どの様な議論が交わされるのか?小野田議員2期目、中西議員4期目、竹下議員1期目の議員活動のチェック能力が表れるでしょう。

ちょっと驚いたこともありました。

2回の議員辞職勧告決議を議決された山崎議員が、穂積市長の4期16年の総括を質問するようです。自分の議員活動を総括できない議員が、穂積市長に何を質問できるのでしょうか?
  

2021年03月02日

穂積市長マニフェスト検証10

前回の市長選の結果を受け、この新城市には危機感が薄過ぎると実感しました。

合併から衰退を続けている現実は、身近な生活の場からも多くの市民が実感していると考えていました。

新庁舎建設見直しを求める住民投票も経験し、穂積市政の問題点を理解しようとする市民が生まれているはずとも考えました。

出馬表明後、市内全域にチラシを配布し、市内各所で市政報告会を繰り返しました。2回目の出馬でしたが、前回以上に市内全域に足を運び、新城市の現状分析、問題点の抽出、その問題点を解決する政策を訴え続けました。

あくまでも正攻法でマニフェスト選挙を貫いたつもりです。

途中には、応援者から「あまり具体的に政策を訴えると支持が逃げることがある。市長になることが第一じゃないか」「相手への批判は抑えた方が良い」などの忠告もありました。

「白井君は、元共産党だ」「白井君は、産廃に賛成だ(南部工業団地のタナカ興業の件。僕は法に基づいて対応するべきで、ただ反対だけでは解決しないと主張)」などの声を聞くこともありました。

それでも、政策に耳を傾けてくれる市民を信じて、出馬から投票日まで取り組みました。

結果、5000を超える票を頂きました。多くの票を頂きましたが、「これだけ訴えたのに、この結果?」と率直に思いました。

この新城市を変えたい思いに嘘はありませんが、総合的に僕には市長は無理と考え、市政に関わることを終了させたつもりでした。

それでも、あまりにも変わらない新城市が気になっています。

それで、今回のマニフェスト検証をしています。穂積マニフェスト市長選の問題点を指摘する情報として発信しています。

穂積市政の政策の是非という視点ではなく、マニフェストという市民との約束を守ったのか、守っていないのかを視点としています。

穂積市政4期マニフェストの検証は、ここまで書いてきた通りです。真摯に約束を守ろうとしていない現実が明らかになっているように思いますが、このブログをお読みの方はどの様に判断されたでしょうか?

この機会に、穂積市政1期マニフェストも検証してみたいと思います。検証の視点は同様です。

穂積市政4期マニフェストに以下(赤字)のように主張しています。

新城市政の現在までの歩みをスタートさせた第1期マニフェスト(2005年)は、「新しい公共」を創造すると宣言しました。

それまでの日本では、公共の担い手は官庁職員だけとされてきましたが、地域のため、隣人のため、こどもたちのために何かをしたいと願うすべての市民が公共の担い手となること、

そしてこれからの市政は、市民公共活動のために税を振り向ける仕組みを作り出していくことを約束しました。

以来、地域自治区の活動によって、市民まちづくり集会によって、地域産業振興活動によって、新城ラリーをはじめ市民力が生んだスポーツ・ツーリズムによって、年々広がる「共育」活動や新城版こども園によって、そして従来は市政参加への回路がなかった若者たちにもその道を保障した若者議会によって、私たちはすべての市民が立場や世代を越えて議論し、協働する作法をつくり上げました。

第4期マニフェストは、新東名時代の風を背に、新城市の姿を大きく変える設計書となることをめざしました。同時に、新城・希望都市のマニフェストには第1期以来、変わることのない太い背骨が貫かれています。

以上の主張から考えれば、第1期マニフェストの精神が今も生きているということです。


この主張にも、穂積市長の自分の成果(やったという事実を大きく主張。成果があったかどうかは不問)を強調しようとする話術の特徴が表れています。

第1期マニフェストは、これまでも書いてきましたが、掲げられていた主張は、僕が共感できる理念が多く、新しい新城市政が始まると思いました。

4期16年のスタート時点でのマニフェストが誠意をもって取り組まれていたのかの検証です。「赤字」が第1期マニフェストの主張です。

「市役所は住民のまちづくりを進める活動拠点であるべきです。自治体は自ら行動する組織でなければならない、との意味でもあります」

「そうだ」と思いました。僕が新城市政に関わりだした時、疑問を感じていました。

その疑問は、補助金を当てにして国の方は向いても、市民の方には関心がない市長、市長の応援部隊の物言わぬ議会が存在しているということです。

まさに市民不在の新城市政に疑問を感じている僕からは、上記の主張は、新しい時代の到来を期待させるものでした。

しかし、現時点においても、その実現は果たされていません。「自治」という名目で、税金を使った各種の自治組織が設置されましたが、市役所が自ら動き、市役所がまちづくりの拠点になっているとは言えません。

相変わらず、自らの財源を確保する政策(4期目になってエンジンを設置し「稼ぎ出す力」を作るとしましたが、エンジンは動きませんでした)も無しに、合併特例債、国・県の補助金を当てにした事業のオンパレードです。

「自治」を前面に押し出したはずの、「地域自治区」「明日をめざすまちづくり補助事業」「若者議会」までもが、「税金」ありきで、成果の検証は行われていません。

1期目から、言うことは立派、中身は空っぽだったということの様に思います。

「行政の非効率をなくすことが、同時に住民の自治活動を豊かにし、福祉の増進に寄与する、そのような新しい資源配分の仕組みこそが求められています。

この原理がしっかり理解できたとき、私は、市職員自らが先頭に立ってさまざまな改革が成し遂げられるものと確信しています」

「行政の非効率をなくすこと、同時に住民の自治活動を豊かにし、福祉の増進に寄与する」、大賛成でした。

行政の非効率をなくすために先ず必要なことは、新城市の目指すべき姿を具体化させることだと考えていました。

目指すべき姿が具体化されれば、何をすべきかが明らかになります。実現のためには、どの様な組織が必要になるか、組織間の連携(庁内、市民組織も含めて)をどの様に取るのか、などの検討の中で、効率的な組織運営ができるものだと考えていました。

自主財源の少ない新城市にとって、効率的な運営でムダを省き、長期的な視点で産業を興し、余裕財源を生み出し、住民の自治活動との連携で、福祉を支えるための財源と支え合う環境ができると考えていました。

穂積市政のスタートはパフォーマンスから始まりました。

新城文化会館に市民を集め、穂積市長自身が新城市財政の講演を行いました。穂積市長の財政に対する博識ぶりを大いに市民に示す機会を作りました。

部長会議を公開で行い、事業仕分けをアピールもしました。

マニフェストに掲げられていた「初年度1%ムダ削減(約2億円)し、地域づくり費用に」「全事業の見直し・仕分けにより歳出2割削減をシミュレーション」など、1期目初期には、猛烈に「やっているよ」をアピールしました。

議場における穂積市長の所信表明には、市民の傍聴者が殺到し、議場に入ることができない傍聴者のために別室を用意することもありました。

しかし、その熱狂的な状況も長くは続かなかったように思います。

「行政の非効率をなくす」ことが必要という姿勢を市民の脳裏に焼き付けようとしていたのか、様々なパフォーマンスを行いましたが、具体的な政策が出てきませんでした。

合併後2年半過ぎて策定された、第一次新城市総合計画は、「新しい公共」などを強調し、これまでにない素晴らしい総合計画ができたと自慢していました。

僕から見れば、目標が総花的で、誰がいつまでに、何を実行するのかという具体的な政策まで作り込むことができていなく、この計画では新城市の問題を解決できないと指摘もしました。

結局は賛成多数でそのまま制定。「何もしなければ推計通りの人口減少となるが、目標達成の政策を執行する」と強調したのですが。

結果、目標としたH30年5万人を達成できず、推計値(コーホート要因法の人口推移)と大差ない人口減少(46000人弱、H30年12月)に終わりました。

「何もしなければ推計通りの人口減少」ということは、穂積市政は最初から、市民にアピールするための言葉は持っていましたが、政策に具体性を持たせることができなかったという証明です。

穂積市長の言行不一致が見えてくると、僕の期待は一気にしぼんでいきました。

穂積市政には、最初から長期的な視点に立った市政運営が不十分でした。その後、そのまま粛々と15年余続いていたと判断しています。

何回も書いてきましたが、穂積市政は自ら計画を作り、自ら動くのではなく、立ち上げた自治組織に丸投げしてきたようなものです。

マニフェストに掲げたのが「この原理がしっかり理解できたとき、私は、市職員自らが先頭に立ってさまざまな改革が成し遂げられるものと確信しています」という主張でしたが、原理を理解できていなかったのが、穂積市長だったと思います。何が改革されたのか、僕には分かりません。

「行財政改革の目的は、役所の機構改革にあるわけではありません。改革のための改革はほとんど意味がありません。行財政改革の先にあるものは、私たちの自治能力そのものの向上と発展であります。そのための取り組みを強めてまいります」

その通りです。そのために、新城市をどこに向かわせるのかという穂積市長の具体的な構想が必要でした。

4期15年を過ぎてもなお、その構想が見えていません。

「行財政改革の先にあるもの」を、「私たちの自治能力の向上と発展」と主張しています。本当にその通りです。

「改革のための改革」を、「自治のための自治」と言い換えると、穂積市長の一貫した姿勢が見えてきます。改革が無くて、「自治能力」が向上することもなく、発展などするはずかありません。

1期目マニフェストは、「行財政改革」の先に、自治能力の向上と発展を位置付けていました。

しかし、現実は、「自治」という形から入り「自治」という形のまま推移しています。本当に必要な改革に乗り出すことができないままです。

1期目から、「言葉は明瞭、内容が不明」という点から、穂積市政に疑問を感じ始めたわけですが、今思えば、その疑問は正しかったと思います。

「公共事業のあり方は、市民の政治・行政に対する信頼度を決定づけるキーポイントです。それがどんなに立派な事業でも、市民に支持も理解もされないものであれば、持続することは不可能であります。ここにあげた諸事業をはじめ、市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証してまいる所存です」

この主張も納得でした。「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」という主張に期待しました。

就任前から市民の疑問が上がっていた事業であり、議員としても見直しの必要性を訴えてきた事業であった、新城サミット、新城駅前開発事業がありました。

「前提条件なしで再検証」から考えると、どちらも見直しの対象になると期待していました。

結果は、新城サミットは、ニューキャッスルアライアンスと名前を変えて継続しています。内容も、単なるイベント事業から、いくらかの見直しが行われ、国間の交流を深めていく方向に変わりました。

しかし、地理的にも文化的にも違いがあり、名前が同じ「新城」というだけでは、メリットが見えてきません。同じ国際交流であれば、目的を明確にし、メリットを市民に還元できる方向に切り替えるべきでした。

時代遅れの新城駅前開発は、これで中止となるはずでした。計画策定が、40年くらい前で、これから、車社会が到来するという時期でした。どう考えても「立派な事業」とも思えません。

鳴り物入りで始まっていた新城市と市民出資のまちづくりの株式会社「山湊」の行く末に暗雲が立ち込めていた状況でもありました。現時点では、その「山湊」は影も形もありません。

さらに、新城駅前の活性化のために設置された市民公募の検討会の結論は、「新城駅前に市道で一番広い道路は要らない。駅前の歴史を活かしたまちづくりが必要」となり、その結論は穂積市長に伝えられていました。

しかし、「これまでの計画を途中で止めるわけにはいかない」という理由で、「イベント道路または取り締まり道路」と言われた道路(大善寺前の幅25mの道路)を作ってしまいました。

3期目には、新庁舎建設が実現しましたが、「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」という理念を無視しました。

市民がいくら疑問を投げかけても、聞く耳を持たなかったから住民投票になってしまったのです。

「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」って何?

「市民に支持も理解もされないものであれば、持続することは不可能であります」って何?

穂積市長のマニフェストって何?ということが最初から続いていました。

「①森林総合産業の創出、②DOS(ドゥ・アウトドア・スポーツ)地域再生プラン、③水と森のふるさと奥三河再生計画(広域の道路整備事業)、④鮎踊る川の再生(汚水処理施設整備事業)
旧新城市で取り組まれたこれら一連の地域再生計画については、新しい地域活力の創造に資するものと考え、新市全域での取り組みに発展させてまいります」


地域の資源を活かした取り組みに期待しました。地元の人間と違った視点から、新城市の魅力を活かしてくれるものだと思いました。

しかし、過去15年余の実績を見れば、この主張も中身がないものでした。

森林、川の管理・保全を基本に、経済・観光・環境保全までも含めた総合的な政策の提案、実行が進むものと理解していました。

4期間ずっと、森林は、国の支援の範囲でしか動いてきませんでした。自主財源を作るための政策がないため、財政に余力がなく、自らの力での森林整備を行うことができないまま時が過ぎてしまったということです。

DOS地域再生プランは、新城ラリーを目玉事業としていますが、市内にどれだけの効果が生まれているでしょうか?

「鮎踊る川の再生」、この事業は新城市だけでなく奥三河地域にとつて重要な事業だと考えていましたので、穂積市長に大きく期待した事業でした。

鮎が躍る川が再生・維持できれば、観光にとっても重要資源となると考えていました。大きな経済効果を生む可能性を秘めた事業と期待しました。

特に、奥三河地方で大きく自然を変化させた大型ダム工事政策に対しての穂積市長の決断を期待しました。

愛知県が自ら需要予測を行い、設楽ダムの必要性を強調していたはずでしたが、その需要予測が過大だったことがはっきりしても、計画は粛々と進められています。

穂積市長は、他の東三河首長たちと、設楽ダム早期完成をお上に陳情するだけです。自ら夢の資源である豊川をつぶそうとしているのです。

観光の目玉の一つである「鮎滝」は、関係者も含めて、「設楽ダム完成で鮎滝は終わる」とあきらめている様子です。

僕は、20代の頃から豊川の自然環境を守りたいと考えていましたし、今も、設楽ダム建設中止を求めて、愛知県を被告に裁判に取り組んでいます。自然の豊かさが、新城市・奥三河の魅力発信の最大の資源です。

「新城市は自然が多い」と自慢する市民が多いのですが、人間と自然の共生のあり方を間違えると、その自然は魅力をどんどん無くしていくと思います。

自然との共生で、経済を回す方向を具体化しないと、集落がどんどん消えていくだけです。放棄された自然が、人を拒絶する本当の自然に戻るだけですが。

以上に書いたように、1期目の理念は、「理念」のための「理念」だったと言えます。

第1期マニフェストには、これからの新城市の目指すべき穂積候補の最大の理念(以下の赤字)だったと思いますが、15年余が経った今、この主張が、いかに中身がなかったのかが分かります。

僕自身、めでたい人間でした。今までにないリーダーの出現だと思ってしまいました。

「このマニフェストのめざすものは、「公共」のあり方そのものの刷新です。国が認め、国が指示し、行政官庁が執行するものだけを公共と呼んできたのが、これまででした。

このため、公共サービスの拡充がたえず役所組織の肥大化を招き、役所の仕事づくりのために税金を投入するという本末転倒が横行していました。そしてその仕事の効果がほんとうの意味では検証されていないので、いたるところで公金のたれ流しが続いていたのです。

合併新市が誕生する今こそ、改革の最大のチャンスです。

公共の担い手は、官庁職員だけではありません。地域のために、隣人のために、子どもたちのために、何かをしたいと願うすべての市民が、公共の担い手です。

希望都市・新城は、その市民公共活動に税を振り向ける仕組みを創造します。

役所のムダを削ったり、職員数を削減したり、歳出カットをはかったりすることが、公共サービスの低下をまねき、弱者にしわ寄せをする結果になるのではなく、ゆとりと活力をあわせもった新たな公共空間を生む出発になる、そんな改革の道すじこそ、このマニフェストで提案したかったことです」


穂積市長は、第4期マニフェストに「同時に、新城・希望都市のマニフェストには第1期以来、変わることのない太い背骨が貫かれています」と掲げました。

以上の様に、僕の判断は、第1期マニフェストに偽りありです。その偽りが、第4期マニフェストまで変わることない太い背骨だったということでしょうか。

1期目から、貫かれていたものは、美辞麗句のマニフェスト、「できるかできないかは問題ではない。先進の市長という装いがあれば良い」という姿勢だったと思います。

第1期マニフェスト以外でも、特徴的だったのが、第3期マニフェストでした。

3期目挑戦の市長選は、新庁舎建設が争点になりました。批判の多い新庁舎建設を逆手に取ろうとしました。

穂積市長のマニフェストには、「新庁舎建設を『3本の矢』』の発射台に―地域の産業・住宅・新エネルギー開発の起爆剤に」と掲げ、新庁舎建設があれば、新城市のまちづくりが進むかのように訴えました。

3本の矢とは、①地域産業を強くして暮らしを立てられるまちをつくります、②住宅開発と住環境改善で住みやすいまちをつくります、③自然エネルギーの積極的な開発と利用を進めるまちをつくりということでした。

新庁舎は、住民投票で見直しを余儀なくされましたが、とにかく本体30億円(噂では、30億円を切ったら鹿島建設との約束違反。真偽は不明ですが、噂通りに進んだことに少々驚き)は死守しました。

発射台はできましたが、3本の矢はどこに飛んでいったのでしょうか?

1期目からの穂積市政のあり方は、4期を貫いています。新城市の現状は、心配した通りの結果です。

いくら問題を投げかけても、市長どころか、市政をチェックすべき議会も、「赤信号みんなで渡ればこわくない」状態でした。

15年強、新城市議会は、穂積市長提案の予算・決算は、一度も議会で否決どころか、修正させたことがありません。新城市議会が無くても何も市民生活には影響が出ないという悲しい現実があります。

4期15年の間、議会は眠っていただけです。穂積市長に持ち上げられれば、異論の一声も挙げられなかったということです。二元代表制は、穂積市長も議会も理解する気も、守る気もなかったということです。

それでも、議会の議員の一人である自分が、何もしないのでは、給料泥棒になってしまいます。

穂積市長との議論は、すれ違うだけで、議論のための議論になっていました。

議員としてできることは何かと考え、議会改革に取り組み(穂積市政2期目)、議会基本条例制定に動きました。

議員任期中の制定には至りませんでしたが、新議会(市長選に挑戦したため、議員ではありませんでした)で制定されました。

4年の議員空白を経て議員に復帰してみると、議会基本条例を理解できない議員が幅を利かせるようになっており、今度は、議会基本条例の全面的な見直しに動きました。

より具体的に議員の行動を縛る(市民に対して議員としてやるべきことを明確に宣言)ものにしようと考えました。市民のために議会の活動サイクルを明文化しようと考えたのです。

議会改革検討会議の副委員長として、全面的見直し案をほぼ完成させ、次期議会に「新」議会基本条例を渡せるかと思いましたが、最後の最後に見直し案はお蔵入りにされました。

市長がダメなら、議会を変えようと考えましたが、最後の最後に、現状維持を優先した議員たちの抵抗に屈しました。

市長選立候補のため、議会を離れることにしていましたので、誰が議員になっても、市民に役に立つ組織にしようとしましたが、もう少しでした。

今期の議会を見ていると、新城市議会を変える最後のチャンスだったかもしれません。

市長は4期目、議員も3期、4期が多数を占める状況です。

なって欲しくなくても、市民の判断ですから、僕の思うようにならないのは当然です。

このブログに寄せて頂いたコメントで知ったことですが、豊橋市長が、「多選自粛条例」を3月議会に出すという情報です。

実際に、豊橋市議会に提案されました。新城市にも、市長、議員に多選自粛条例が必要な状況にあると思います。

2期、3期やっても役に立たない人が、何期続けても役に立つはずはありません。どうも、市長も議員も既得権みたいになってしまいました。

一度市長、議員になると、自分で止めると言わない限り、いくら役に立たなくても、他人は余分なことは言わないでしょう。本人も、きっと居心地が良くなっているので、辞めるに辞められません。

若者に選ばれる自治体と逆の方向に進んでいます。「自治」をめざしたはずでしたが、現実は、従来の保守的な考えを温存してきたように思います。

次期選挙は、8ヵ月後(10月31日投票)にはやってきます。「こんなことが起きるなんて?」という驚きを祈ります。
  

2021年02月25日

穂積市長マニフェスト検証9

2月15日、商工政策課から回答を受け取りました。

商工政策課には、「製造業・建設業で614人の雇用増が生まれているが、新城市の政策が果たした役割は?」等を質問しています。

商工政策課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

製造業・建設業の雇用増614人は、工業統計において、H29年とH31年の労働者数の差である。そのため、労働者の居住地区、年齢、正規・不正規の割合など詳細はわからない。

市内の企業は下請け的な業種が多く、社会情勢の影響を受けやすい。雇用増の大半は社会情勢の変化に依るところが多い。

新城市の政策に依る雇用増は約60人である。その政策は、企業団地への企業誘致である。

市長選前から継続してきた企業誘致の努力で、南部企業団地に3社が進出した。

新城IC周辺で造成してきた企業団地に2社が進出した。物流の中継基地としての倉庫業、大型機械のレンタル業の2社である。

物流・観光・サービス業の雇用増127人の主は、ホテル「ルートイン」の開業(雇用増約95人)である。

ホテル開業のために、宿泊業に対する優遇策を盛り込んだ条例を制定した。

任期1年弱となっているが引き続き雇用増に取り組む。利用可能な土地の調査を行いながら、民間独自の開発を促していく。

以上です。

マニフェストで、4年間での雇用増を約束していました。

製造業・建設業400人、物流・観光を含めたサービス業300人という数字でした。

他の課でも、マニフェストの雇用増は、従来業務の延長線上の結果であったり、民間の努力であったり、4期目マニフェストに掲げた政策に依るものではありませんでした。

商工政策課の回答も同様でした。製造業・建設業の雇用増の大半が社会情勢に依るところです。

市の政策に依る雇用増は、企業団地に依るものであり、従来型の呼び込み型企業誘致です。
税金使って造成し、企業進出を期待するだけで、業種は問わないやり方です。地元資源を活用する企業誘致という発想は何もありません。

新城IC周辺企業団地に進出した企業は、倉庫業、レンタル業となり、地元産業の活性化を進めることにはならないでしょう。

地元産業を活性化させるためには、地元の資源をどう活かすかという発想が必要です。企業が進出し、その企業から雇用が蜘蛛の巣の様に広がっていく産業を興していくという発想が必要です。

税金で造成し、企業進出に期待するだけの発想は、箱物行政が流行していた何十年前の発想です。穂積市長のよそ者の発想に期待したのですが、合併前の山本市政とやっていることは同じようなものです。

「ルートイン」開業は、市長選前に分かっていたことであり、優遇条例も「まるでルートインのための優遇策みたい」という声が出ていました。

「ルートイン」進出の決め手を明確に示すことはできませんが、推測はできます。

当時、中国からの弾丸ツアーが流行っており、IC周辺にホテル、その周辺に薬局という立地が当たり前のように言われていました。

ちょうど、東京・大阪の真ん中付近に位置するという新城ICの立地条件が良かったのだと思います。最近、JR高速バスが新城IC付近に中継所(東京―大阪間)を設置するという話と通じる点がありそうです。

観光・サービス業の雇用増も、社会情勢の変化に依るもので、「棚から牡丹餅」的なものだったのではないでしょうか。

マニフェストの4年で1000人の雇用実現の約束の多くを占めていたのが、「製造業・建設業・物流・観光・サービス業」です。

4期目マニフェストの目玉政策であった(僕はその様に判断していました)エンジンを構成する4つの機構が動かなくても良かったのでしょう。

雇用増実現の予測は、市長選前からあったということです。万一実績を追及されても、それなりの雇用増は生まれているはずなので、後は言い切ってしまえば何とかなると踏んでいたのでしょうか?

ますます、マニフェストの必要性が感じられません。

市長選告示前の鳳来地区での公開討論会での質疑応答を振り返ってみます。

僕が穂積市長に「4年で1000人の雇用増を実現する具体的政策」を問いました。

穂積市長は、「電気自動車の普及、自動運転技術の進展、航空産業などの第四次産業と言えるチャンスの到来を活かす」との回答でした。

時間の決められた討論会では、実現の可否ではなく、言い切ればOKなのです。

新城、鳳来、作手地区での公開討論会は会場ごとにテーマが違う上に、質疑応答時間・回数が限られているため、参加している市民に、政策実現性の有無の判断を求めること自体が難しい仕組みです。

この時、僕の思いは(当時のブログより)、

「そのチャンスを活かすための具体策がみえない。また、そのチャンスはどの自治体にも同じように到来している。民間での競争も激化している。

その状況の中で、新城市の取組方法を示してもらわない限り、1000人の雇用増は確かなものにならない。

4年間で1000人の雇用増は意欲的ではあるが、合併12年の実績を考慮すれば、急激な雇用増は絵に描いた餅になる可能性が高い」

というものでした。

穂積市長が、公開討論会で主張した「電気自動車の普及、自動運転技術の進展、航空産業などの第四次産業の到来」に依る雇用増が生まれていると判断できる材料がありません。

担当課でも、社会情勢の変化としか答えられないのです。

新城市のどこに、第四次産業の到来が来ているのでしょうか?しかも、航空産業で期待した旅客機製造(三菱重工が凍結した、国産初のジェット旅客機)は中断してしまいましたね。

結局、あれほど切望した(僕の公開質問状に答えないまま、3ヵ月間の準備期間を使った公開討論会開催)穂積市長の考える公開討論会というものは、この程度(言い切れば勝ち)のものだったのです。

マニフェストをこんなに軽く考えてOKなら、本まで出した公開討論会条例の価値も地に落ちたも同然です。

マニフェストは選挙を戦うための道具ではありません。公開討論会は、政策論争を回避するための手段ではありません。

新城市を1期4年でどの様に変えていくかを市民に示し、その実現を市民に約束するものがマニフェストであり、公開討論会だと考えていました。

どうも穂積市長の考えは、僕の考えと相容れないものだったと解釈するしかありません。

こうなると、市民は何を根拠に投票すれば良いのでしょうか?

「マニフェストに掲げられていても、実現を約束するものではありません」と、穂積市長お得意の条例でも作って明文化した方が良いですね。

リーダーの発する政策が信頼できるものではなくなれば、選挙が成り立ちません。選挙が成り立たなくなれば、「市民自治」も意味を成しません。

市長も議会も強調してきた「市民自治」というものは、飾りであり、中身は必要ないということでしょうか?

穂積市長自慢の自治基本条例は、対外的(僕ちゃんはちゃんとやってるよ!)に必要な物であるだけで、その解釈は人により違っても構わないということでしょうか?

新城市は、その基本条例に基づき、「若者が活躍でき、市民全員が元気に住み続けられ、世代のリレーができるまち」を実現するために若者議会を設置してきました。

市長選を戦い抜いたリーダーに、これだけの言行不一致があり、それを修正できない幹部職員の実態を知った時、若者議会が成り立つでしょうか?「親の背を見てこどもは育つ」ものでしょう。

国政では、政権幹部への忖度ばかりが目立っていますが、新城市でも変わらないですね。こんな市政で、若者に胸を張って自慢できるのでしょうか?

市役所内の建前と本音の社会が、次代に引き継がれてしまえば、ますます「自治」だけでなく、「まちづくり」の危機が深刻になります。

これまで何回も言ってきたのですが、いくら自治を強調しても、新城市の抱える課題が解決されなければ、市民生活を守ることはできません。

前回紹介した海士町は、山内町長の明確な解決策に共鳴した町内外の人々が、まさに「自治」を実践した結果、まちづくりが大きく進んだということです。

山内町長が、いくら「自治」が大事だと叫んだとしても、それだけで、まちづくりが進むことはなかったでしょう。

穂積市長は、「自治」という名目で、様々な組織を立ち上げてきましたが、数字が示すように、想定以上の人口減少・高齢化が進んでいます。

新城市で足りなかったのは「自治」ではなく、リーダーたち(市長、議会、職員)の具体的な解決策だったのです。

今更ながら、「なぜ、穂積市長が新城市に来たのか?東京に立派な自宅があるというのに。永住するわけでもないのに、なぜ新城市長に執着するのか?」と思います。

穂積市政4期16年の無為な時間が惜しまれます。

これまで、マニフェストの検証を行ってきましたが、穂積市政の問題点が浮かび上がってきたと思いませんか?

まだ、企画政策課との質疑応答が残っています。問題が多過ぎて、今年度一杯要するかもしれません。

「新城市の問題を解決するはずのエンジンの構成部品である公共商社がなぜいつまでも動かないのか?」「名古屋圏との経済的つながりの強化がどの様に進んだのか?」等など、これまでの穂積市政の問題点がますます明らかになるでしょう。

今後も、企画政策課との質疑応答は続けますが、これほどマニフェスト軽視がひどいと、聞く側としても、少々嫌気がさしてきました。穂積市長代理人の担当者も、同様かもしれませんが。



  

2021年02月22日

穂積市長マニフェスト検証8

2月9日、学校教育課から回答を受け取りました。

学校教育課には、「新設される新城有教館高校の魅力への支援策の具体的実施状況について」等を質問しています。

学校教育課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

令和2年度に入ってから学校教育課が、新城有教館高校の魅力向上に向けての対応担当になった。

新城有教館高校は愛知県教育委員会の管轄のため、新城市学校教育課として何ができるかという気持ちを持った。

最初に、マニフェストに掲げられていた「単位交換型留学制度」が、愛知県の施策として実施可能か確認した。

愛知県教育委員会の回答で、実施可能であることは確認できた。単位交換型留学制度と言うのは、例えば、高校2年で1年間留学しても、帰国後は高校3年でスタートできるという制度のことを言う。

しかし、コロナ感染の影響のため、予定されていた「ニューキャッスルアライアンス」が中止となってしまった。

そのため、「ニューキャッスルアライアンス」で協議を予定していたスイスの高校との交流も中断してしまった。

マニフェストが掲げている支援は、現時点で、市内中学校の進路担当教諭、家庭などと共有されていない。国際交流という視点も共有されていない。

新城有教館高校とスイス、デンマークの高校との相互交流を、一部始めているとお答えしたが、その相互交流が、新城有教館高校と他校との差別化に結びつくかについての、比較検討は行っていない。

有教館高校の紹介は、ティーズで行ってきた。


以上です。

再質問の回答を求めたら、急に学校教育課が前面に出てきた印象です。

最初の質問に対する答えは、「令和元年度、新城有教館高校の魅力のため、高校生がニューキャッスルアライアンスをとおして相互理解を深めた市に留学できる制度作りに着手した」でした。

学校教育課が担当になったのが、令和2年度ですから、最初の質問の答えはまちづくり推進課だったようです。

制度作りに着手したとの回答でしたが、H30年度に実施された新城市でのニューキャッスルアライアンスの時に、留学できる制度についての話があったという程度のようです。

学校教育課が担当になって初めて、単位交換型留学制度について、愛知県の制度としての有無が確認されていますから、H30年度のニューキャッスルアライアンスから2年間くらいは、何の対応も無かったということになります。

急に学校教育課に白羽の矢が立った感じですが、学校教育課は、不断に市内の小中学校の教育に対して忙しく、急に新城有教館高校の魅力向上が業務だと言われても、簡単には動けるものではないでしょう。

しかも、愛知県立の高校の教育課程まで、新城市の学校教育課が踏み込むことは簡単なことではありません。1担当課が担う業務ではなく、市を挙げて愛知県との対応が求められるものです。

結果、新城有教館高校と他国の高校との交流が始まったとしても、それがすぐに、魅力向上につながるものでもなく、継続した実績が定着してはじめて、魅力となっていくものだと考えます。

高校生の国際交流=新城有教館高校の魅力アップと言ってみたかったのでしょうか?

その魅力アップのマニフェストの目玉政策が、「単位交換型留学制度」で、愛知県にも確認もせずに、できるかどうかも検討不十分なまま、マニフェストに掲げたことになります。

単位交換型留学制度というのは、説明の通りであれば、他国で1年留学した時、その1年の留学の間、語学だけでなく、進級するために必要な他の学科の単位も取得する必要があるということになります。

そのためには、相当の語学力が必要になるはずです。特に、今回始めようとしているスイス、デンマークの高校との留学制度適用をめざそうとすれば、スイス語、デンマーク語の堪能さが求められます。

その保障を新城市が責任を持つというのでしょうか?それとも、生徒の自己責任で頑張れというのでしょうか?

生徒の自己責任となれば、この制度適用が、お互いの高校で合意されても、絵に描いた餅になるでしょう。

将来の目標として掲げることは自由ですが、1期4年のマニフェストに掲げてしまうと、穂積市長が変えたいと念願していた「夢のオンパレード」の政策選挙になってしまうと思います。

「やっぱり穂積市長、考えることが先進的」とマニフェストを読んだ市民がいたとしたら、罪ある提案だったのではないでしょうか。

今回の件については、穂積市長の話術の特徴が出ているように思います。

ニューキャッスルアライアンスの成果に対する市民の不信があるとしても、逆にニューキャッスルアライアンスがあるから、新城有教館高校の魅力向上のための単位交換型留学制度を進めることができた、と成果に見せるという話術です。

新城・名古屋高速バスも同様です。

高速バスの成果に対する市民から疑問があっても、高速バスを走らせたおかげで、名古屋という大都市との交流を始めることができたと成果(成果の中身は疑問)を強調しようとします。

新庁舎の住民投票も同様でした。

新庁舎見直しの住民投票が取り組まれ、最終的には住民投票を求めた側が市民多数の支持を得ましたが、自治基本条例で住民投票の権利を保障し、自治活動を強めたおかげで住民投票が行われ、市民多数の声を反映した計画となった、と自分の成果の様に強調しました。

「市民が主人公」と強調しながら、何が市民の利益なのかわからないことばかりの様に見えてきます。

新城有教館高校は走り始めています。作手高校の存続の課題も新城市にはあります。高校進学で、市外に出て行くことは、新城市への愛着を薄めさせる心配があります。

今回の高校問題で、前回の市長選に向けて、僕自身が市内各所を回った市民説明会開催を思い出しています。

その説明会で、廃校寸前の高校を立て直し、人口減少に歯止めをかけたという、島根県海士町の取組を紹介し、「人口減少は日本全国で起きている。仕方がない」とあきらめるのではなく、具体的に現状を分析し、具体的な解決策を作りあげることが必要と訴えました。

海士町を激変させた山内道雄町長(2002年から2018年まで町長)の以下のことば(赤字)を紹介しながら、市内を回りました。

海士町の取り組みは、挑戦事例であって、成功事例ではない。ないものはない。ならば、あるものを磨くしかない。2002年の町長就任以来、新たな産業づくりと教育の魅力化に全力を傾けてきた。

経済とひとづくりは両輪。町に高校がなくなれば、島外に進学する子どもの学費をまかなうため親も出て行ってしまう。それは、何よりも大きな損失だった。

人が集まり根づく町にするため、IターンやUターンの新たな知恵や経験を柔軟に受け入れた。本気でやる人には、町も本気で応えた。

成果は徐々に表れ、町財政は回復基調に転換。人口の減少も歯止めがかかり、保育所には定員を超える入所希望が寄せられるまでになった。

島の未来は自分たちで考えるほかなく、町の歩みに終わりはない。

チャレンジをやめたら島は沈む。未来永劫(みらいえいごう)、人が住んでいる限り挑戦し続ける。


山内町長は、2002年に町長に就任し、約10年(V字回復を言った候補者がいましたが、地道な努力の積み重ねが必要)をかけて人口減少に歯止めをかけました。2018年に後継者にバトンタッチして町長を降りました。

穂積市長は、今期を終えると、2005年から2021年までの16年間を新城市長として過ごすことになります。

山内町長とリーダーとしての多くの年月が重なります。しかし、その実績には大きな違いが生じています。

例えば、「GD Freak!」サイトのデータで比較してみます。データは、総務省 国勢調査及び国立社会保障・人口問題研究所 将来推計人口、総務省 住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数を基にGD Freak!が作成したものです。

海士町は(詳しくは、ネットから島根県海士町人口⏎)、国立社会保障・人口問題研究所が2010年までの国勢調査に基づくトレンドから予測した2015年人口よりも160人(7.3%)多く、予測よりかなり上振れしている。上振れ率では全国ベスト21位。2045年の平均年齢は、2015年の 52.9歳から0.7 歳若返り、52.3歳となる。

新城市は(詳しくは、ネットから愛知県新城市人口⏎)、国立社会保障・人口問題研究所が2010年までの国勢調査に基づくトレンドから予測した2015年人口よりも310人(0.7%)少ない。2045年の平均年齢は、2015年の 50.0歳から7.8 歳上昇し、57.7歳となる。

新城市の様に、具体的に有効な政策が実行されなければ、予測値より人口減が進んでしまうのです。同時期に、海士町では予測値より人口を多く維持しています。

2045年の平均年齢を見ると、明らかに海士町の方が若いですね。

同データサイトから、2045年の高齢化率の予測を見ると、新城市48.3%に対して、海士町37.5%です。

海士町は、島根県本土から約60km離れた海上の島です。どう考えても、新城市の方が立地条件は優れています。

同時期にリーダーとして責任を持った自治体経営に大きな差が出ている現実。

穂積市長が、様々な条例を作ったり、様々な組織を作っている時に、山内町長は、改革の方向を絞り、力を集中し、全国的に顕著なまちづくりを進めていました。

現時点でも、海士町のまちづくりが、成功例としてマスコミで取り上げられています。

新城市では、若者議会、マニフェスト大賞など、形だけのものが取り上げられることがありますが、人口減少は、合併以来、予測を上回るスピードで進んでいます。

このままの市政が続けば、後30年もすれば、2人に1人が高齢者だという超高齢化社会を迎えてしまいます。

海士町と新城市の差は、明らかにリーダーの差です。

立地条件も悪く、何もないと嘆くしかなかった海士町でできたのだから、新城市でもあきらめる必要はないと思ってきました。しかし、穂積市政4期16年が新城市の衰退を確実なものにしたかもしれません。

16年前の改革と、高齢化率が上がってしまったこれからの改革では困難の度合いが上がってしまいました。

海士町が必至で頑張っていた時、新城市では呑気に「自治」を叫んでいたということでしょうか。

海士町の情報は、ネットで簡単に検索できます。興味があれば探してみてください。
  

2021年02月19日

穂積市長マニフェスト検証7

2月5日、福祉課、高齢者支援課から回答を受け取りました。福祉課の回答については前回に載せてあります。

今回は高齢者支援課の回答です。高齢者支援課には、「福祉・医療分野での雇用増61人に果たした政策は?」等を質問しています。

高齢者支援課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

雇用増61人は、H31年4月に開設された特別養護老人ホームの職員数である。

湯谷温泉地区近郊の施設である。職員の居住地区、年齢構成など詳細は不明。

設置に動き出したのは、H27年3月に東三河広域連合で介護保健計画が策定されたことによる。

その計画に基づき、新城地区に設置の方向で動き、社会福祉法人 中部盲導犬協会が運営事業者として、国の支援を受けて設置した。

設置された施設敷地内には、盲導犬をリタイヤした犬が飼育されており、施設入居者との交流が行われている。

マニフェストに掲げられた雇用増100人の達成のために、福祉課、こども未来課などとも連携して取り組んでいく。

福祉円卓会議で示された提案を、長期的な課題、すぐ実践できる課題を明確にして進めていく。

介護支援課としての取組としては、認知症対策として、認知症カフェなどの支援を進めている。


以上です。

これもか、という印象です。

マニフェストの雇用増が、新城市の政策ではなく、今回は広域連合内の合意による施設設置ということです。それも、国の支援を受けた施設設置です。

マニフェスト発表前から動き出していた政策に乗っかっただけのマニフェストということになります。

ますます、穂積市長のマニフェスト選挙の問題が明らかになってきます。

有権者の判断は、「福祉・医療分野での雇用増100人」を見て、穂積市長が就任したならば、独自の政策で実現してくれる(僕はそう思います)となります。

実は、どのくらいの規模の施設ができるかは、事前情報として持っていたのでしょう。

このようなマニフェスト選挙のあり方が当たり前になれば、独自の努力・発想が必要ではなく、情報を有利に動かせる候補者の有利は動かせなくなります。

穂積市長マニフェストの雇用増の約束は、情報を掴んでいた数字を並べただけでした。

たとえ、3年前の3候補者の誰が当選したとしても、結果として、穂積4期目の雇用増は生まれていたでしょう。

穂積市長マニフェストは、「支え合う力+稼ぎ出す力=まちの未来」を実現させるためのエンジンとして、福祉円卓会議を動かすとしていました。

もし、この福祉円卓会議がエンジンとして動いていれば、独自政策で福祉・医療分野での雇用増を実現できていたかもしれません。

しかし、福祉円卓会議は、答申を出して活動終了の模様です。

現時点では、答申を受けて条例作りを始めていますが、条例制定が1期4年の終了間際です。

穂積市長は、提案したマニフェスト実現のために何が必要かを、職員に伝えることもできていません。

「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、穂積市長に言えるのは、「仏指示して魂指示できず」ということでしょうか?

前回の市長選の公開討論会の思いがよみがえってきます。詳しくは、http://slmichihiro.seesaa.net/を参照ください。カテゴリー「2017市長選」です。

山本候補のマニフェストの重要スローガンとして、「V字回復で新城市を再生」を掲げていました。

新城市政の現状を知っていれば、1期4年で再生できるほど簡単な状況でないことは明らかでした。

公開討論会では、山本候補に対して、僕も穂積候補も、V字回復を実現させる具体的な政策を求めました。

山本候補の回答は、「盛んに具体的な政策を求められますが、市長に必要なのは何をしたいかの提案です。その提案に対して、具体化するのは職員です。新城市の職員は優秀です」と平然と答えました。

これが、新城市で進められてきたマニフェスト選挙の実態です。

当時、山本候補のマニフェストに疑問を示していた穂積市長の今期の実態を見れば、当時の山本候補の答えと同じことをやっています。

提案は市長、具体化は職員ということです。何とも無責任な市長選でした。

穂積市長は、この市長選で行われた合同公開討論会を素晴らしいと主張して、条例まで作ってしまいました。

条例に魂が入らなくても、形はできるという典型的な条例作りです。

条例より大切なことは、市長候補者の本気さの見極めです。

新城市の実態を把握し、そこから問題点を抽出し、その問題点を解決するための政策を作り、市民にマニフェストを公表するという責任ある対応をさせる市民の監視です。

たかだか3回程度の討論会で、市長候補のマニフェストの見極めは困難です。

市長をめざすのであれば、できるだけ早く市民に自らの主張を発信する努力が必要です。

少しでも多くの市民に、自分の思いを伝え、少しでも多くの市民から政策の是非に対して、もまれる必要があります。

公開政策討論会条例で、市民の市政参加を広げると主張しますが、前回の市長選において公開討論会を行っても、穂積市長マニフェストの評価はほとんど行われないまま、投票日を迎えただけです。

選挙は、従来の選挙と変わりませんでした。出陣式にどれだけ集めたとか、どの団体を抑えたとか、市民自治とは相いれない選挙を、穂積市長が推し進めたと言っていいでしょう。

僕は、従来型の悪しき選挙を改めたいと強く願っていました。

真にマニフェストに基づいた政策をぶつけ合う選挙にしようと考えていました。

僕の出馬表明が6月30日でした。投票日が10月29日でしたので、4ヵ月間を政策論争の場にしようと考えていました。

穂積・山本氏は既に出馬表明をし、市長出馬に当たっての政策の柱を公開していました。

僕は、出馬表明と同時に、両氏に対して公開質問状を出しました。

結局、両氏ともこの公開質問状に答えないまま選挙が終わりました。

山本氏は、「私は、自ら有権者に政策を伝えるので、あなたに答える必要はない」でした。

穂積氏は、「個人的なやり取りではなく、公開の場でやるべき」でした。

穂積氏が、公開討論会にこだわり、山本氏が公開討論会に難色を示したため、公開討論会を進める調整だけで、時間を取られ、予定候補者同士のガチンコの政策討論は棚上げされました。

結局、告示前に作手地区、鳳来地区、新城地区の順で各一回、告示後に文化会館で1回、計4回の公開討論会が行われました。

最初の作手地区での公開討論会開催は、10月5日でした。公開質問状を出してから、3ヵ月以上が過ぎていました。

公開討論会調整中に、穂積市長に、ネット上での公開討論を何度も求めました。

「二人だけの公開討論会ではだめだ」「ネット上では公平・公正性が保障されない」「自分は市長業務があり、頻繁なやり取りができない」「とにかく、山本氏を交えての公開討論会が必要」などなど、とうとう公開質問状には答えませんでした。

山本氏には、ネット上での公開討論会どころか、予定候補者3人が顔を合わせての公開討論会にも拒否感が強く、公開討論会の準備会さえ開けないまま時間ばかりが過ぎていました。

僕は、合意できている2人からだけからでも公開討論会開始を求めましたが、「どうしても3人がそろわないとだめだ」と穂積市長は動こうとしませんでした。

結果、一番のチャンスを失ったのは市民だったと思います。出馬を決意した3人がいたのに、その政策論争を聞ける機会はわずか4回だけでした。ネット中継があったと言っても、お互いの真剣勝負の議論を聞ける機会はほとんどなかったと言えます。

穂積市長は、予定候補者同士のガチンコの公開討論会を避けながら、合同公開政策討論会という形だけを追い求めました。

公開政策討論会条例があっても、予定候補者の真剣なマニフェスト論争を聞ける保障はありません。形だけの公平・公正を重視するだけの、しかも時間制限ありの討論会では、マニフェストの是非を判断できる市民が多いとは考えられません。

予定候補者同士が了解し合い、市民の中にどんどん出向いて生の議論を交わし合うことがなければ、市政への関心は高まらないでしょう。

予定候補者同士の議論が何度となく交わされ、最終的に、公開政策討論会がまとめとして開かれるという形が良いと思っています。

前回の市長選の様に、公開討論会を前提に、公開質問状にも答えないことでは、本末転倒です。

公開討論会が大事なではなく、いかに市民に政策を吟味してもらえるかがもっとも大事なことです。

公開質問状には、今回のマニフェスト検証に関わる質問も挙げてありました。具体的な政策実現の道を質問していました。

今回のマニフェスト検証をしてみて、やっぱり言っただけのマニフェストだったなと納得できることばかりです。何回も、政策論争ができていれば、穂積市長マニフェストの是非の判断ができていたはずです。

次の市長選に穂積市長が出馬するという話が聞こえてきますが、僕のマニフェスト選挙のあり方から考えれば、実績を見た時、恥ずかしくてとても出馬するとは言えませんが。
  

2021年02月16日

穂積市長マニフェスト検証6

2月5日、福祉課、高齢者支援課から回答を受け取りました。

福祉課には、「新城市の難題を解決させるエンジンである福祉円卓会議が止まったままで、難題は解決できるのか?」などについて質問しています。

高齢者支援課には、「福祉・医療分野での雇用増61人に果たした政策は?」等を質問しています。回答は、次回に回します。

福祉課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

福祉円卓会議の答申を受けて、条例案の検討をしている。

答申にある「必要な施策が継続できるための地域福祉に関する条例の制定」を受けての対応である。

条例検討は、2020年11月に設置した検討会議が行っている。検討会議メンバーには、5000円/回の報償費を支払っている。

その17人のメンバーには、福祉円卓会議メンバーから12人が入っている。

検討会議により検討された案をベースに条例を成案にし、今年の9月議会に提出する。

福祉円卓会議の答申により、条例提案だけでなく、福祉職の高離職率等の問題など新たな視点をもらった。

以上です。びっくりな回答が一杯でした。

福祉円卓会議が提案したからと条例を作っていますが、この条例制定が最終の成果ということになりそうです。

福祉円卓会議の成果を作るために、新たに条例検討会議を設置したということでしょうか?

不思議なことですが、検討会議のメンバーの大半が、福祉円卓会議のメンバーです。福祉円卓会議の設置目的は、答申までだったということになります。

進め方に疑問がありますが、条例制定が、予定通り進んでも、今年の9月議会で承認されるだけです。9月議会が終われば、市長選・市議選に入っていきます。

福祉円卓会議を「支え合う力×稼ぎ出す力=まちの未来」とするためのエンジンとして掲げていました。
これでエンジンだったと言えるのか?

条例を作っても、具体的な政策が提案されなければ、何も動きません。福祉円卓会議がエンジンと言うのであれば、具体的に政策を提案し、具体的な成果(福祉職の継続的な人材確保の道筋)が必要でした。

福祉円卓会議は、条例提案の主旨を「施策実施のためには、事業者・従事者・市民・行政がともに協力し合うことが欠かせない。そのためには、福祉施策に対する背景をそれぞれが、共有することが必要であり、そのための理念を制定する」としています。

これが、市長の諮問であった「福祉人材を育てるまちづくり」の答えであるとすると、3期12年の穂積市長の福祉政策は何だったのか、と思えてきます。

これまでの様々な福祉計画が作られてきました。福祉の充実は市民の願いであることは間違いありません。

そのために、福祉計画が検討されてきました。当然のこととして、福祉円卓会議の条例提案を待たなくても、条例提案の主旨は、行政の基本認識として理解されていたでしょう。

福祉円卓会議の答申で、福祉職の高離職率などの問題を認識したようですが、これが真実とすれば、新城市職員の認識があまりにも低いということになりますが。

実際にはそんなことはありえません。福祉・介護職の定着率の低さは、多くの人が知っている事実です。

その原因が、働き甲斐を感じながらも「仕事に見合った賃金になっていない」「きつい、汚い仕事」「人間関係の大変さ」に限界を感じてしまっている現状であること、行政担当者であれば痛いほど理解していると思います。

福祉人材を育てる施策は、福祉円卓会議に諮問しなくても、その答えは明確であり、その施策は、より具体的に市長が提案すべきものでした。

福祉円卓会議の答申には、具体的な提案も載っています。しかし、本来は市の施策として提案、実施されるべきものばかりです。

これまで、数多くの福祉計画を作ってきました。その計画づくりのために、数多くの福祉関係者の声を聞いてきたはずです。

立派な冊子にまとめ上げられた計画書はありましたが、その計画に具体性がなく、「絵に描いた餅」に終わってしまうことがありました。それが行政の作る計画書の問題です。

いくら行政に思いを伝えても、改善が進まないことに閉塞感をもっていた福祉関係者も多かったと思います。

その閉塞感が、「条例にすればやってくれるのでは」という期待を込めて、条例と言う形で事業者・従事者・市民・行政に理念の共有を求めたと思います。最後にすがったのが条例提案だったとすれば、あまりにも悲しいことです。声を挙げても市長には届かないということでは困ります。

条例は万能ではありません。新城市の最高法規である自治基本条例で、市民、議会、市長、行政の義務と権利を明示しました。

しかし、その基本条例の理解が、全市民に浸透しているでしょうか?市長、議会、職員は、基本条例を信条に市政に関わっているでしょうか?

市民が市政の主人公であるはずなのに、穂積市長は、新庁舎建設で十分な説明責任を果たさず、市民から住民投票を求められました。同様に、議会は穂積市長と歩調を合わせました。

条例を守るべき市長、議会が、勝手な解釈ばかりで、市民を蚊帳の外に置いてきました。

結局、たとえどんなに素晴らしい言葉を散りばめた条例ができたとしても、その条例があるだけでは、市民だけでなく、市長、議会、職員の意識は変わらないでしょう。「自治」という実践なしには、身につかないものです。

もし、条例だけで福祉人材が育てられるのであれば、日本全国の自治体が作れば、福祉の未来が明るくなるはずです。そんなことは無いですよね。

必要なことは、自治体が独自の政策を作り、その政策実現のために、事業者・従事者・市民・行政が本気で取り組むことです。本気で取り組むことで、問題点があぶり出され、その解決方法も明確になります。

苦労した経験の蓄積が、条例という形で、次世代への財産(実践の中で、市民、市長、議会、職員などの理念の共有)となるということでしょうか。条例ありきでは、新城市の抱える難題は解決できません。

解決の手段は現場にあるのです。

穂積市長の様に、自らの頭で考えず、自ら汗をかかず、賢人会議、福祉円卓会議、地域自治区、自治会議、まちづくり集会、若者会議、女性会議、中学生会議など数限りない組織に委ねるだけでは、新城市が抱える問題解決の道筋はいつまでも見えてこないでしょう。

福祉円卓会議は、マニフェストのための政策であり、新城市の抱える難題を解決するための政策ではなかったと理解するしかありません。

僕が、4期目マニフェストの実現状況を質問したのが、昨年の9月12日でした。福祉円卓会議の答申は昨年の8月、条例検討会議が設置されたのが昨年の11月でした。慌てて設置したのでしょうか?
  

2021年02月13日

穂積市長マニフェスト検証5

2月4日、企画政策課、土木課、公共交通対策室から回答を受け取り、前回、土木課から受け取った回答について書きました。

今回は、公共交通対策室の回答についてです。

公共交通対策室には、「新城-名古屋高速バスの目的が果たされているか?」「高速バス運行で名古屋圏との経済的つながり強化は進んでいるのか?」等を質問しています。

公共交通対策室の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

「新城市の自宅から通学できる」「名古屋都市圏から観光客を誘致する」ことを大きな目的としてきたが、全便の確認ができていないため、具体的な数字は掴めていない。

高速バスで通学した(高速バスでメリットを得ていた)学生が、市内に就職した事例は、追跡調査を行っていないのでわからない。

限定的に、去年と今年の2回、それぞれ1週間の調査を行った。平均して、通学13名、通勤5名、買い物23名、通院・お見舞い14名という結果だった。

1乗車当たりの経費(決算額÷乗車人数)は、令和元年度実績で、約1800円だった。

名古屋圏とのつながり強化という点では、長久手古戦場の関係者と長篠設楽原鉄砲隊との交流を模索している。

観光という点においては、土日に豊鉄田口線、平日は新城Sバスが鳳来寺山頂まで回るようになり、高速バスとの連携を進めている。

高速バスの収支改善のため、高速バスの荷室を利用した野菜の運搬(藤が丘のアンテナショップで販売)の検討など、庁内での横の連携を検討してきたが、まだ実現できていない。

現在、高速バスとは別件となるが、以下の様な計画が進行している。

ジェイアールバス関東株式会社は、東京・新宿⇔京都・奈良・大阪・神戸などの区間において、東名高速道路を利用し高速バスを運行しているが、走行ルートについて、現在の東名高速道路から、災害に強く、走行の安全性や快適性が高いとされる新東名高速道路へ変更するため、三ケ日インターチェンジ付近に設置してある現在の乗務員乗り継ぎ基地(管理事務所、仮眠休憩所)を新城インターチェンジ付近へ移転することを計画している。

この計画とも連携させ、高速バス事業を前に進めていきたい。


以上です。

「名古屋圏との経済的つながり強化」がマニフェストにありました。その一つが高速バス運行です。高速バスが走り始めて、5年が過ぎています。

走り始めようとした時に強調した目的の達成度の判断には、具体的な数値が不可欠です。しかし、まともな調査もしていないため、正確な判断ができません。それでも税金を使った事業が続いていることに驚かされます。

一人運べば、税金で約1800円を使っています。利用した市民は、どう考えても少数です。税金使用の公正性・公平性から考えて許されるものではありません。

同じように税金を使う市内を走る過疎バス運行は、市民の生活を守る必要不可欠な政策です。

しかし、高速バスは無くても、市民の生活が直ちに困窮するものではありません。

もし、名古屋への通勤・通学の足の確保をしなければならないとしても、高速バスを走らせるよりは、交通費補助をした方が安上がりになり、公平性も高速バスを走らせるよりも向上します。

藤が丘・長久手着では、不便なため乗るという選択肢がない通勤・通学者もいるでしょう。

5年を経過しても、多くの市民はメリットを実感できていません。マニフェストの名古屋圏との経済的つながり強化も裏付けは何も示すことができていません。

また、マニフェストでは名古屋中心部への乗り入れの追及を掲げていました。できなくても、「追及した」ということで、OKということになるのでしょうか?

市民が主人公と言う穂積市長ですが、大多数の市民が疑問を感じている、「高速バス運行」という政策を見直す気配がありません。具体的な成果を示せなくても、議会(反対する議員は少数)も黙っています。

担当者は、穂積市長が止めと言うまで、担当を離れるわけにはいきません。酷なことを担当者にやらせています。

特に、公共交通対策室が、なぜ名古屋圏との経済的なつながり強化までも担当しているのかが不思議です。

経済的なつながり強化というのであれば、商工政策課、観光課、農業課、森林課などとの連携が欠かせませんが、その連携までもが公共交通対策室に丸投げ状態です。穂積市長の本気さが見えません。

ここまで、多くの課でマニフェストの到達状況を聞いてきましたが、担当者は、一生懸命取り繕うとしています。

穂積市長の実現までの構想に疑問符がつくマニフェストばかりで、「市長は指示、考えるのは担当者」、担当者が可哀そうに思えてきます。

マニフェストには、「市役所自らが起業・創業の精神をもってまちづくりに邁進します」と強調しています。

この言葉を「市長自らが起業・創業の精神をもってまちづくりに邁進します」と変えることが必要だと思います。
  

2021年02月11日

穂積市長マニフェスト検証4

2月4日、企画政策課、土木課、公共交通対策室から回答を受け取り、前回、企画政策課から受け取った回答について書きました。

今回は、土木課の回答について書きます。公共交通対策室の回答は次回に回します。

土木課には、「現東名高速にスマートICで新城南部地域に新しい玄関口を開くとのことでしたが、現状は?」「三遠南信道路、三河東美濃高規格道路、豊橋・浜松三ケ日道路で新城を『愛知の山の湊』に押し上げることができていますか?」等を質問しています。

土木課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

スマートICについて経過を説明する。H16年頃、南部地域から「スマートIC設置要望」が、市に届けられた。

H18年に、利用車数予測調査を行ったが、新東名の開通を優先していたため、一時保留していた。

H28年2月新東名新城IC開通。同年12月に八名区長会から新城市議会に「スマートIC計画推進の要望書」が提出された。

H29年1月から、豊橋市との情報交換を始めた。同年10月、新城市長選。

穂積市長の4期目マニフェストに「現東名高速にスマートICで新城南部地域に新しい玄関口を開く」と掲げられていた。

H30年2月から、関係機関(国、県、NEXCO、警察、豊橋市、新城市)との調整が始まった。

令和元年9月、国から「準備段階調査箇所」の採択を受けた。これより、スマートICの設置ルートの検討、整備に要する事業費、費用対効果などの検討が行われ、令和3年頃には事業化の最終判断(国)が行われる。

事業化の決定となれば、令和8年から9年に開通が予想される。

国としては、スマートIC推進の方向性を示しており、静岡県では、十数か所ものスマートICが設置されている。

総事業費30億円程度が想定され、想定額通りとなれば新城市の負担は約3億円となる。

現時点で、考えられるメリットとして、①市外への救急搬送対応、②物流による産業の振興、③高速道路利用環境の向上などが考えられる。

スマートICありきではなく、メリットと新城市の負担金との比較検討は今後行う。課を越えての比較検討を始めている。

三遠南信道路は7割程度の進捗、三河東美濃高規格道路については整備の必要性が検討されている段階、豊橋・浜松三ケ日道路は事業化が決定しているものの今後の進捗計画は明示されていない。

以上が回答です。

担当課の説明の通り、八名区長会から議会にスマートIC設置の要望が出されていました。

その時の議会の判断は、国の設置要綱の利用台数基準を満たしていない予測調査結果、豊橋市の積極的な動きもなく、主旨は理解できるものの、すぐには事業化推進の立場はとれないというものでした。

それから動き始めたということのようですが、果たして事業化決定となるか疑問があります。

設置後の維持管理費用はNEXCOの負担となるため、採算の見通し無しでは事業化決定とはならないと考えています。

今回の事業は、豊橋市との合同事業となりますが、スマートICからどれだけの車を降ろすことができるか、十分な検討が必要です。スマートIC周辺に魅力を作らなければ、車の利用台数は増えるはずもありません。

その魅力づくりを明確に示すことができなければ、事業化決定とならないと考えますが、一番肝心な魅力づくりの検討がこれからで果たして大丈夫でしょうか?

「新城南部地域に新しい玄関口を開く」と夢を語りましたが、本当に開通できるのか?そもそも1期4年で実現できない事業がマニフェストにふさわしいと思えません。

もっとマニフェストにふさわしくない事業が、三遠南信道路(7割程度の進捗)、三河東美濃高規格道路(整備の必要性が検討されている段階)、豊橋・浜松三ケ日道路(事業化が決定しているものの今後の進捗計画は明示されていない)です。

3つの事業すべてが、1期4年での開通は不可能であり、「新城市を『愛知の山の湊』に押し上げる」ということは単に夢を語っただけということです。

そもそも「愛知の『山の湊』に押し上げる」と言いますが、名古屋周辺の多くの住民に認知されていない新城市を、押し上げる政策が見えません。

道路を作れば人が来る、という発想は前時代の箱物市政に逆戻りなのではないでしょうか?

「あったらいいな。できたらいいな」という夢を語る選挙が、4期目の穂積市長で進められていたということです。

ますます穂積市長のマニフェスト選挙がもたらした新城市への弊害が見えてきます。

何回か書いてきましたが、穂積市長のマニフェスト選挙と最近出した本とのギャップの大きさにビックリです。

握手とお辞儀、選挙公約は夢のオンパレード、こんな選挙を変えたかったのが、穂積市長のはずだったですよね。
  

2021年02月07日

穂積市長マニフェスト検証3

2月4日、企画政策課、土木課、公共交通対策室から回答(3時間かかりました)を受け取りました。

企画政策課には、「エンジンとしての四つの機構の内、賢人会議、公共商社がエンジンとして動いていないのに新城の難題は解決できるのか?」「名古屋に設置したアンテナショップで名古屋との関係強化は進んでいるのか?」等を質問しています。

企画政策課の回答は、概略以下の通り(赤字)です。

穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである。

新城版賢人会議は、しんしろ創生会議と名前を変えているが、そのしんしろ創生会議が、穂積市長マニフェスト実現のために提案している。

その提案が、穂積市長の「人生100年時代の豊かな暮らしづくりに挑戦するため、若者に負担をかけない長寿社会の構築について」という諮問に対して、答申された「3本柱の施策」である。

「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」が3本柱の施策である。

以上が回答です。書けば非常に短いのですが、回答に対する質疑応答に時間がかかり、予定の一時間ではここまででした。残りの回答は後日受け取ることになりました。

今回の質問を通して、ますます疑問が沸き上がっていますが、穂積市長マニフェストが動いていることを証明しなければならない(宮仕えとしての大変さ?)という担当課の思いは伝わります。

僕の判断では、第二次総合計画と穂積市長マニフェストに、それほど関連性が出てきません。

総合計画は130ページを超える計画となっています。詳細は個別計画でということかもしれませんが、総論的な計画ですので、「穂積市長マニフェストは、第二次総合計画に反映されているはずである」と言うことも可能です。解釈すれば、「ここのところにマニフェストの思いがある」と言えるということです。

新城市では、第二次総合計画が策定(実施期間:令和元年度~令和12年度)され、その計画に基づき市政が動いているはずです。この計画の策定担当課が企画政策課となっています。

計画策定が対外的に動き始めたのが、総合計画審議会の初会合となったH29年3月1日ということになります。

市長選がH29年10月29日でした。新城市の規定の通り、穂積市長の市長選マニフェストが第二次総合計画に反映されるはずでしたが、どこに反映されているのかわかりません。

第4期マニフェストの骨格となっていた、4つの機構も、その4つの機構をエンジンとした諸施策の実施で実現を約束した4年間で1000人の雇用増という目標も、今回質問している他の項目の多くも、明確な記述が見当たりません。

3年数カ月前の市長選の有無を無視したかのような総合計画が策定され、市政は粛々と動いていると感じます。

穂積市長は、マニフェスト選挙を自認してきたと思っていましたが、市長選マニフェストが反映されなくて、総合計画が新城市の最上位計画と言えるのでしょうか?

もし、マニフェストが総合計画に反映されており、具体的には毎年度の個別計画で実施されているとします。

そうだとすれば、就任直後に、賢人会議がエンジンとして動き始めることができるように、具体的に計画され、年度毎に見直しが行われ、市民に約束した成果を上げているはずです。

現実はどうだったでしょうか?

市長選がH29年(2017年)10月29日、賢人会議(以下、創生会議)への市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月でした。

市長選から答申までに2年4カ月くらいが過ぎていました。この段階で、任期4年の半分以上が過ぎていることになります。

答申があってやっと、具体的な計画に動いていくはずですが、答申された3本柱にも疑問が生じます。

3本柱をそれぞれに見ていきます。

「健康づくり:奥三河メディカルバレープロジェクト」についてです。名古屋大学医学部と新城市が包括連携協定を結び、既に新城市内で、遠隔地医療、ドローンを使った遠隔地への輸送対応などの実践を始めています。

奥三河メディカルバレープロジェクトについて、愛知県の市の中で最も高い高齢化率(3割強)となっている新城市が、愛知県の他市が今後迎えるだろう超高齢化社会に対して、健康寿命を延ばし人生100年時代を豊かに過ごすための試行自治体に選ばれたプロジェクトだと理解しています。

このプロジェクトは、国の支援を受けた民間企業との協同事業ということです。

医療機器の開発、ドローンなどの有効活用を探るなど、名古屋大学の学術研究だけでなく、民間事業者にもメリットが期待できるものです。

流れを見れば包括連携協定は、新城市の努力というより、新城市の高齢化という難題に名古屋大学が目を付けたということだと思います。

さらに、創生会議が目を付けて、3本柱の一つとして提案したということになります。

包括協定締結が、H28年(2018年)8月20日、市長諮問がH30年(2018年)10月、賢人会議からの答申が令和2年(2020年)3月の流れからは、市長、創生会議が、このプロジェクトに飛びついた格好です。

奥三河メディカルバレープロジェクトは、創生会議の存在の有無に関係せず、外部の力で動いている事業と考えられます。人のふんどしで相撲を取る、というように見えてきます。

2本目の柱です。「相互扶助の仕組みづくり:コミュニティービジネスキックオフ事業」についてですが、新城市では、既にコミュニティービジネスの支援を始めています。

支援があるものの、簡単に進む事業でないことがはっきりしていますが、創生会議が、この事業の後押しをしたということであったと理解しました。

敢えて創生会議の提案を待たなくても、穂積市長自慢の「地域自治区」と庁内各課との連携で、高齢者の生きがいにも結び付くようなコミュニティービジネスを実現させることができます。地域自治区には、支援をしているのですから。

この柱も、創生会議の提案に頼る事業ではなく、新城市として進めている事業を、自ら具体化させるべき事業であったと考えます。

3本目の柱です。「高齢者の所得機会の拡大:生涯現役促進地域連携事業」についてです。

新城市は、令和元年6月3日に新城市生涯現役促進地域連携協議会の事業推進事務局の事務所を開設しています。

報道機関への市長説明では、「この事業は厚生労働省の委託事業であり、高年齢者の能力を生かした、地域のための雇用を創出するため、本市と地域関係者が協働して進めているものです」となっています。

創生会議の答申が令和2年ですから、市長は、答申を受ける前に、答申内容の実践を始めていたことになります。

結局は、マニフェストで掲げてしまった創生会議というエンジンを、ほおっておくこともできず、設置という既成事実が必要だったと言えそうです。

穂積市長になって、様々な審議会(有償委員で組織)、自治基本条例をはじめ様々な条例を作り、「やってます」という姿勢を対外的に表明してきました。

市長というリーダーが、審議会に責任を委ねたり(本来は自らの頭で考え提案し責任を持つべき)、市民の要望が無くても上から目線での条例を作ってきました。

「自治」を標榜する市長自らが、自分の頭で考えず、条例という形でしか市民、議会、職員の行動も規制できなかったということを示しているように見えます。

今回質問に絡んでくる第二次総合計画は、総花的で新城市独自の課題の深堀がないため、新城市の名前を変えれば、どこかの県の消滅可能性都市の計画に置き換えても違和感がないように考えています。

もっと、具体的に何を、いつ、誰が実行するのか、市民にもわかりやすいものにすべきです。

市民にもパブリックコメントをしていますが、大半の市民には、他人事の域を出ていないでしょう。これでは、市民のための計画ではなく、市長をはじめ職員のための計画となっています。

市長マニフェストも同様です。既に多くの市民の頭から離れているでしょう。選挙で選ばれたマニフェストの軽いことに泣けてきます。

「自治」というのであれば、総合計画にしろ市長マニフェストにしろ、計画は市民自身のものになる必要があります。市民が実践者と感じられる計画に練り上げていくということです。

マニフェストの到達点評価は、市長の判断に委ねられている(点数制で評価していますが、有効性の評価にはなっていません)ように見えます。成果があったのかというより、やったか、やれていないかという主観的評価になっています。

そのため、市民の関心を遠ざけ、計画の見直しも後回しになっているのではないでしょうか?

第一次総合計画策定の時には、たびたびPDCAで計画の有効性を高めていくと言っていたと思います。

P(計画:Plan)、D(実行:Do)、C(評価:Check)、A(改善行動:Action)のことです。

現状がどうなっているか詳細まではわかりません。しかし、市長マニフェストの進行経過を見る限り、スタートとなる計画策定が遅く、その内容に具体性がありません。

今の状態では、D(実効)に進むこともできず、当然ですがC(評価)、A(改善行動)に進む前に、1期4年が終わってしまいます。

長くなりましたので、今回はここまでとします。
  

2021年02月03日

穂積市長マニフェスト検証2

2月2日、環境政策課とまちづくり推進課から回答を受け取りました。

環境政策課の回答は概略以下の通り(赤字)です。環境政策課には、「新城エネルギー公社が、未だに検討段階で、4期目市政を動かすはずのエンジンが動いていないのはなぜか?」という質問を投げています。

第一次総合計画の重点戦略に「環境首都創造」を計画していた。

東日本大震災での経験で、エネルギーの重要性が再認識された。その後、エネルギーの自由化で、新電力に注目が集まるようになった。

災害時の電気を含めて、地域のエネルギーを活用しようという流れが大きくなってきた。

新城市で考えれば、市内で消費されるエネルギーの総額が、約250億円と試算されている。この費用を市内で循環できれば、地域経済を活性化せることにつながり、雇用増に貢献できる。

エネルギー地域循環は、二酸化炭素貢献にもつながり、それを担うエネルギー公社の存在意義は大きい。

実際に、H30年にエネルギー公社の事業採算性を試算したが、電気卸売市場価格上昇が顕著となり、早急な新城エネルギー公社設立は困難と判断した。

現段階では、民間の電力事業者との連携を模索し、価格競争に巻き込まれないように、社会的価値に重きを置くエネルギー活用の検討を進めている。

各地の先進事例調査も行ってきたが、決め手となるような先進自治体は見当たらない。検討状況は逐一部長に上げ、部長会議を通して市長にも伝わっていると思うが、具体的な指示は降りていない。

環境政策課において専任担当者はいない。課長と主任で対応している。

マニフェストの約束期間終了まで1年を切ったが、検討を継続する。


まちづくり推進課の回答は概略以下の通り(赤字)です。「コミュニティビジネスを新規に立ち上げた37人の状況について」「新城有教館高校の魅力向上に向けての支援策について」の質問です。

コミュニティビジネス立ち上げの37名の中身は、めざせ明日のまちづくり事業のコミュニティビジネス部門で立ち上げた5団体に組織された総勢51名の内の女性と若者の数である。37名の個々人が新規事業を立ち上げたというわけではない。

5団体は、地域活性化を目指す地域団体、女性団体である。それぞれの団体が経済的に自立できる状況(ボランティア活動に頼っている)に至っていないが、地域コミュニティー再生に効果を上げ始めている。

作手で立ち上げたコミュニティビジネス事業「地域食堂」は、社会福祉協議会との連携により、地域での食事提供に加え、配食サービス事業の検討を始めている。

コミュニティビジネス事業は、H28年度から始まっているので、市長選前からの継続事業(4期目マニフェストに根拠を置く事業ではない。雇用増の約束も新たな事業を起こしての約束ではない)である。

新城有教館高校の魅力向上については、ニューキャッスルアライアンスで交流しているスイスのヌシャテル市との間で高校間の相互交流を検討していた。しかし、コロナ感染の影響で中断している。

現状では、コロナの終息の見通しが立たず、任期残り1年での高校間の相互交流の実現は不透明である。

また、新城有教館高校には、専門系(実務系)もあるので、国際交流関係の支援だけでは、魅力向上に十分でないと考えるが、現時点ではその対策は考えていない。


率直に言って期待していた「マニフェスト選挙」に対する疑問ばかりが大きくなっています。

合併直後に制定された第一次総合計画に「環境首都創造」が重点戦略に挙げられていたというのに、エネルギー政策は未だに不透明です。

4期目マニフェストに挙げていたエンジン部分である「新城エネルギー公社」は、設立可能性を試算した途端に、採算性が取れないことがわかったという状況です。

現在、先進事例調査をしているとのことですが、提案した本人である穂積市長は3期12年もの間、何をしていたのでしょうか?

僕が議員の時、エネルギーの地産地消の必要性を訴え、先進自治体の視察報告も伝えていたにに、その時は、できない理由ばかりを言っていたのは誰だったでしょうか?

その人が、選挙に向けてのマニフェストにいきなり、「新城エネルギー公社」をエンジンにすると言い出したのです。

先進事例調査にいくら時間をかけても、今のままでは公社設立は不可能でしょう。簡単に成功した先進事例はほとんど出てこないでしょう。上手く言っている自治体はありますが、その多くがしり込みする自治体を引っ張った民間事業者の存在があります。

全国的に有名になった岡山県真庭市(新城市議会の委員会視察でも何回か足を運んでいる)は、スタートは民間事業者が始めたバイオマス発電でした。それが、今や環境先進自治体として、全国から環境視察を受け入れ、環境で新たな経済を生み出しています。

行政は、できない理由を考えるのが得意と言われます。よく言えば、石橋をたたいて渡るという慎重さがあるということでしょうか。

「新城エネルギー公社」を本当に立ち上げたいというのであれば、考えられる障害を理由に止めるのではなく、その障害を取り除くという覚悟がなければできません。


時代は、自然エネルギーに大きく舵を切っていくでしょうが、成功事例を待っているだけでは、いくら検討を続けても、市民に約束した「新城エネルギー公社」は立ち上がらないでしょう。

一担当者が決定できる事業ではなく、市長の思いと具体的な構想がなければ進まない事業です。

担当者が、「採算が取れない」という試算結果を伝えても、穂積市長からは具体的な指示はないということですので、ますます実現性は不透明です。

「新城エネルギー公社」設立の構想もなく、マニフェストに挙げても、許されるのでしょうか。枝葉の政策ではなく、新城市の抱える難題解決のエンジンとなる重要政策なのです。

昨年末には、「5万円給付」の公約を諦めた岡崎市長に対するリコール団体が設立されたようです。岡崎市長は、「やらないんじゃなく、やれない」と言っているようですが、立候補した自治体の財政状況も考えない公約を掲げたことだけで、市長の適格性が問われると思うのですが。

穂積市長も言うのでしょうか?「やらないんじゃなく、電気卸売市場価格が上がってしまってできなくなった」と。エンジンが止まっている(新城市の難題解決が棚上げ)という現実は、無視ということでしょうか?

そもそも、自前でエネルギー調達を考えずに、電気市場に頼っているだけでは、解決策は見えてこないと思いますが。

コミュニティビジネス、エネルギー公社、地域商社、若者・女性起業で100人の雇用実現をマニフェストに挙げていました。

現状は、エネルギ―公社、地域商社は検討段階のため雇用の可能性はありません。若者・女性起業は、コミュニティビジネス事業の中から抽出しているようなので、100人の雇用実現は、めざせ明日のまちづくり事業のコミュニティビジネス事業に頼るしかなくなっています。

まちづくり推進課の回答は、地域再生=コミュニティビジネス事業ということでした。雇用増(ほとんどがボランティア)というより、地域コミュニティー再生が現状においては、最優先課題と判断できます。

個々の地域が孤軍奮闘しても、経済的自立を実現することは不可能に近いと考えています。地域の思いと行政の精神的・物的支援が欠かせないでしょう。

数字的には51人という住民がコミュニティビジネス事業に関わり、その人数を雇用増とカウントしようと考え、マニフェストに挙げたかもしれませんが、何のためのマニフェストなのか不思議です。

地域で求めているのは、地域再生です。その地域再生のために、どの様な支援が必要なのかこそマニフェストに挙げるべきです。

新城有教館高校の魅力向上も、唯一の支援策である、ヌシャテル市の高校との相互交流は、実現の目途がたっていません。

「やらないんじゃなく、コロナ感染のためできなかった」と言いますかね。余りにも選択肢が狭すぎます。100%(交流実現が目的、成果は二の次)か0%という政策ということです。

マニフェストに挙げた政策が「新城有教館高校の魅力向上のための支援策」でした。

新城市だけではなく、奥三河にとっても、地元の若者に選ばれる高校に育てることが非常に大切だと思っていますので、政策の重要度には共感できます。

しかし、4年に一度の市長選に挙げられた当選市長のマニフェストは、第二次総合計画(3年前の市長選後に制定)に反映されるはずなのですが、一行も「新城有教館高校の魅力向上のための支援策」はありません。

普通に考えて、高校の相互交流だけで、新城有教館高校の魅力向上にはあまりにも不十分です。市長選を勝ち抜いたマニフェストの扱いが軽過ぎるように思います。そもそも、マニフェストには挙げてみたが、それほど思い入れのある政策でなかったかもしれませんね。

穂積市長は、政策抜きの握手とお辞儀優先の選挙を変えたいという思いで、公開討論会条例を作ったようです。その思いが本当であれば、僕も同感です。

しかし、公開討論会条例という先進策を進めながら、マニフェストの位置づけが曖昧、マニフェスト自体への誠実さ欠如が見えてしまいます。これでは、公開討論会条例は、絵に描いた餅になってしまうでしょう。

市長候補者の、真剣なマニフェスト選挙が前提にあってこその公開討論会ですから。

本来は、議会がまともであれば、マニフェスト検証は、議会の役目なのです。新城市には二元代表制が機能していません。新城市の現状を考えると、市長、議会もわが身のために動いているようにしか見えません。

穂積市長の新城市政15年を検証する必要があると思いながら(こんなことやってどうなるのかと思いながら)、もうしばらく、他の課からの回答を受け取ります。


  

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