2021年03月02日

穂積市長マニフェスト検証10

前回の市長選の結果を受け、この新城市には危機感が薄過ぎると実感しました。

合併から衰退を続けている現実は、身近な生活の場からも多くの市民が実感していると考えていました。

新庁舎建設見直しを求める住民投票も経験し、穂積市政の問題点を理解しようとする市民が生まれているはずとも考えました。

出馬表明後、市内全域にチラシを配布し、市内各所で市政報告会を繰り返しました。2回目の出馬でしたが、前回以上に市内全域に足を運び、新城市の現状分析、問題点の抽出、その問題点を解決する政策を訴え続けました。

あくまでも正攻法でマニフェスト選挙を貫いたつもりです。

途中には、応援者から「あまり具体的に政策を訴えると支持が逃げることがある。市長になることが第一じゃないか」「相手への批判は抑えた方が良い」などの忠告もありました。

「白井君は、元共産党だ」「白井君は、産廃に賛成だ(南部工業団地のタナカ興業の件。僕は法に基づいて対応するべきで、ただ反対だけでは解決しないと主張)」などの声を聞くこともありました。

それでも、政策に耳を傾けてくれる市民を信じて、出馬から投票日まで取り組みました。

結果、5000を超える票を頂きました。多くの票を頂きましたが、「これだけ訴えたのに、この結果?」と率直に思いました。

この新城市を変えたい思いに嘘はありませんが、総合的に僕には市長は無理と考え、市政に関わることを終了させたつもりでした。

それでも、あまりにも変わらない新城市が気になっています。

それで、今回のマニフェスト検証をしています。穂積マニフェスト市長選の問題点を指摘する情報として発信しています。

穂積市政の政策の是非という視点ではなく、マニフェストという市民との約束を守ったのか、守っていないのかを視点としています。

穂積市政4期マニフェストの検証は、ここまで書いてきた通りです。真摯に約束を守ろうとしていない現実が明らかになっているように思いますが、このブログをお読みの方はどの様に判断されたでしょうか?

この機会に、穂積市政1期マニフェストも検証してみたいと思います。検証の視点は同様です。

穂積市政4期マニフェストに以下(赤字)のように主張しています。

新城市政の現在までの歩みをスタートさせた第1期マニフェスト(2005年)は、「新しい公共」を創造すると宣言しました。

それまでの日本では、公共の担い手は官庁職員だけとされてきましたが、地域のため、隣人のため、こどもたちのために何かをしたいと願うすべての市民が公共の担い手となること、

そしてこれからの市政は、市民公共活動のために税を振り向ける仕組みを作り出していくことを約束しました。

以来、地域自治区の活動によって、市民まちづくり集会によって、地域産業振興活動によって、新城ラリーをはじめ市民力が生んだスポーツ・ツーリズムによって、年々広がる「共育」活動や新城版こども園によって、そして従来は市政参加への回路がなかった若者たちにもその道を保障した若者議会によって、私たちはすべての市民が立場や世代を越えて議論し、協働する作法をつくり上げました。

第4期マニフェストは、新東名時代の風を背に、新城市の姿を大きく変える設計書となることをめざしました。同時に、新城・希望都市のマニフェストには第1期以来、変わることのない太い背骨が貫かれています。

以上の主張から考えれば、第1期マニフェストの精神が今も生きているということです。


この主張にも、穂積市長の自分の成果(やったという事実を大きく主張。成果があったかどうかは不問)を強調しようとする話術の特徴が表れています。

第1期マニフェストは、これまでも書いてきましたが、掲げられていた主張は、僕が共感できる理念が多く、新しい新城市政が始まると思いました。

4期16年のスタート時点でのマニフェストが誠意をもって取り組まれていたのかの検証です。「赤字」が第1期マニフェストの主張です。

「市役所は住民のまちづくりを進める活動拠点であるべきです。自治体は自ら行動する組織でなければならない、との意味でもあります」

「そうだ」と思いました。僕が新城市政に関わりだした時、疑問を感じていました。

その疑問は、補助金を当てにして国の方は向いても、市民の方には関心がない市長、市長の応援部隊の物言わぬ議会が存在しているということです。

まさに市民不在の新城市政に疑問を感じている僕からは、上記の主張は、新しい時代の到来を期待させるものでした。

しかし、現時点においても、その実現は果たされていません。「自治」という名目で、税金を使った各種の自治組織が設置されましたが、市役所が自ら動き、市役所がまちづくりの拠点になっているとは言えません。

相変わらず、自らの財源を確保する政策(4期目になってエンジンを設置し「稼ぎ出す力」を作るとしましたが、エンジンは動きませんでした)も無しに、合併特例債、国・県の補助金を当てにした事業のオンパレードです。

「自治」を前面に押し出したはずの、「地域自治区」「明日をめざすまちづくり補助事業」「若者議会」までもが、「税金」ありきで、成果の検証は行われていません。

1期目から、言うことは立派、中身は空っぽだったということの様に思います。

「行政の非効率をなくすことが、同時に住民の自治活動を豊かにし、福祉の増進に寄与する、そのような新しい資源配分の仕組みこそが求められています。

この原理がしっかり理解できたとき、私は、市職員自らが先頭に立ってさまざまな改革が成し遂げられるものと確信しています」

「行政の非効率をなくすこと、同時に住民の自治活動を豊かにし、福祉の増進に寄与する」、大賛成でした。

行政の非効率をなくすために先ず必要なことは、新城市の目指すべき姿を具体化させることだと考えていました。

目指すべき姿が具体化されれば、何をすべきかが明らかになります。実現のためには、どの様な組織が必要になるか、組織間の連携(庁内、市民組織も含めて)をどの様に取るのか、などの検討の中で、効率的な組織運営ができるものだと考えていました。

自主財源の少ない新城市にとって、効率的な運営でムダを省き、長期的な視点で産業を興し、余裕財源を生み出し、住民の自治活動との連携で、福祉を支えるための財源と支え合う環境ができると考えていました。

穂積市政のスタートはパフォーマンスから始まりました。

新城文化会館に市民を集め、穂積市長自身が新城市財政の講演を行いました。穂積市長の財政に対する博識ぶりを大いに市民に示す機会を作りました。

部長会議を公開で行い、事業仕分けをアピールもしました。

マニフェストに掲げられていた「初年度1%ムダ削減(約2億円)し、地域づくり費用に」「全事業の見直し・仕分けにより歳出2割削減をシミュレーション」など、1期目初期には、猛烈に「やっているよ」をアピールしました。

議場における穂積市長の所信表明には、市民の傍聴者が殺到し、議場に入ることができない傍聴者のために別室を用意することもありました。

しかし、その熱狂的な状況も長くは続かなかったように思います。

「行政の非効率をなくす」ことが必要という姿勢を市民の脳裏に焼き付けようとしていたのか、様々なパフォーマンスを行いましたが、具体的な政策が出てきませんでした。

合併後2年半過ぎて策定された、第一次新城市総合計画は、「新しい公共」などを強調し、これまでにない素晴らしい総合計画ができたと自慢していました。

僕から見れば、目標が総花的で、誰がいつまでに、何を実行するのかという具体的な政策まで作り込むことができていなく、この計画では新城市の問題を解決できないと指摘もしました。

結局は賛成多数でそのまま制定。「何もしなければ推計通りの人口減少となるが、目標達成の政策を執行する」と強調したのですが。

結果、目標としたH30年5万人を達成できず、推計値(コーホート要因法の人口推移)と大差ない人口減少(46000人弱、H30年12月)に終わりました。

「何もしなければ推計通りの人口減少」ということは、穂積市政は最初から、市民にアピールするための言葉は持っていましたが、政策に具体性を持たせることができなかったという証明です。

穂積市長の言行不一致が見えてくると、僕の期待は一気にしぼんでいきました。

穂積市政には、最初から長期的な視点に立った市政運営が不十分でした。その後、そのまま粛々と15年余続いていたと判断しています。

何回も書いてきましたが、穂積市政は自ら計画を作り、自ら動くのではなく、立ち上げた自治組織に丸投げしてきたようなものです。

マニフェストに掲げたのが「この原理がしっかり理解できたとき、私は、市職員自らが先頭に立ってさまざまな改革が成し遂げられるものと確信しています」という主張でしたが、原理を理解できていなかったのが、穂積市長だったと思います。何が改革されたのか、僕には分かりません。

「行財政改革の目的は、役所の機構改革にあるわけではありません。改革のための改革はほとんど意味がありません。行財政改革の先にあるものは、私たちの自治能力そのものの向上と発展であります。そのための取り組みを強めてまいります」

その通りです。そのために、新城市をどこに向かわせるのかという穂積市長の具体的な構想が必要でした。

4期15年を過ぎてもなお、その構想が見えていません。

「行財政改革の先にあるもの」を、「私たちの自治能力の向上と発展」と主張しています。本当にその通りです。

「改革のための改革」を、「自治のための自治」と言い換えると、穂積市長の一貫した姿勢が見えてきます。改革が無くて、「自治能力」が向上することもなく、発展などするはずかありません。

1期目マニフェストは、「行財政改革」の先に、自治能力の向上と発展を位置付けていました。

しかし、現実は、「自治」という形から入り「自治」という形のまま推移しています。本当に必要な改革に乗り出すことができないままです。

1期目から、「言葉は明瞭、内容が不明」という点から、穂積市政に疑問を感じ始めたわけですが、今思えば、その疑問は正しかったと思います。

「公共事業のあり方は、市民の政治・行政に対する信頼度を決定づけるキーポイントです。それがどんなに立派な事業でも、市民に支持も理解もされないものであれば、持続することは不可能であります。ここにあげた諸事業をはじめ、市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証してまいる所存です」

この主張も納得でした。「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」という主張に期待しました。

就任前から市民の疑問が上がっていた事業であり、議員としても見直しの必要性を訴えてきた事業であった、新城サミット、新城駅前開発事業がありました。

「前提条件なしで再検証」から考えると、どちらも見直しの対象になると期待していました。

結果は、新城サミットは、ニューキャッスルアライアンスと名前を変えて継続しています。内容も、単なるイベント事業から、いくらかの見直しが行われ、国間の交流を深めていく方向に変わりました。

しかし、地理的にも文化的にも違いがあり、名前が同じ「新城」というだけでは、メリットが見えてきません。同じ国際交流であれば、目的を明確にし、メリットを市民に還元できる方向に切り替えるべきでした。

時代遅れの新城駅前開発は、これで中止となるはずでした。計画策定が、40年くらい前で、これから、車社会が到来するという時期でした。どう考えても「立派な事業」とも思えません。

鳴り物入りで始まっていた新城市と市民出資のまちづくりの株式会社「山湊」の行く末に暗雲が立ち込めていた状況でもありました。現時点では、その「山湊」は影も形もありません。

さらに、新城駅前の活性化のために設置された市民公募の検討会の結論は、「新城駅前に市道で一番広い道路は要らない。駅前の歴史を活かしたまちづくりが必要」となり、その結論は穂積市長に伝えられていました。

しかし、「これまでの計画を途中で止めるわけにはいかない」という理由で、「イベント道路または取り締まり道路」と言われた道路(大善寺前の幅25mの道路)を作ってしまいました。

3期目には、新庁舎建設が実現しましたが、「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」という理念を無視しました。

市民がいくら疑問を投げかけても、聞く耳を持たなかったから住民投票になってしまったのです。

「市民のなかで疑問の声の上がっているものを中心に、前提条件なしに再検証」って何?

「市民に支持も理解もされないものであれば、持続することは不可能であります」って何?

穂積市長のマニフェストって何?ということが最初から続いていました。

「①森林総合産業の創出、②DOS(ドゥ・アウトドア・スポーツ)地域再生プラン、③水と森のふるさと奥三河再生計画(広域の道路整備事業)、④鮎踊る川の再生(汚水処理施設整備事業)
旧新城市で取り組まれたこれら一連の地域再生計画については、新しい地域活力の創造に資するものと考え、新市全域での取り組みに発展させてまいります」


地域の資源を活かした取り組みに期待しました。地元の人間と違った視点から、新城市の魅力を活かしてくれるものだと思いました。

しかし、過去15年余の実績を見れば、この主張も中身がないものでした。

森林、川の管理・保全を基本に、経済・観光・環境保全までも含めた総合的な政策の提案、実行が進むものと理解していました。

4期間ずっと、森林は、国の支援の範囲でしか動いてきませんでした。自主財源を作るための政策がないため、財政に余力がなく、自らの力での森林整備を行うことができないまま時が過ぎてしまったということです。

DOS地域再生プランは、新城ラリーを目玉事業としていますが、市内にどれだけの効果が生まれているでしょうか?

「鮎踊る川の再生」、この事業は新城市だけでなく奥三河地域にとつて重要な事業だと考えていましたので、穂積市長に大きく期待した事業でした。

鮎が躍る川が再生・維持できれば、観光にとっても重要資源となると考えていました。大きな経済効果を生む可能性を秘めた事業と期待しました。

特に、奥三河地方で大きく自然を変化させた大型ダム工事政策に対しての穂積市長の決断を期待しました。

愛知県が自ら需要予測を行い、設楽ダムの必要性を強調していたはずでしたが、その需要予測が過大だったことがはっきりしても、計画は粛々と進められています。

穂積市長は、他の東三河首長たちと、設楽ダム早期完成をお上に陳情するだけです。自ら夢の資源である豊川をつぶそうとしているのです。

観光の目玉の一つである「鮎滝」は、関係者も含めて、「設楽ダム完成で鮎滝は終わる」とあきらめている様子です。

僕は、20代の頃から豊川の自然環境を守りたいと考えていましたし、今も、設楽ダム建設中止を求めて、愛知県を被告に裁判に取り組んでいます。自然の豊かさが、新城市・奥三河の魅力発信の最大の資源です。

「新城市は自然が多い」と自慢する市民が多いのですが、人間と自然の共生のあり方を間違えると、その自然は魅力をどんどん無くしていくと思います。

自然との共生で、経済を回す方向を具体化しないと、集落がどんどん消えていくだけです。放棄された自然が、人を拒絶する本当の自然に戻るだけですが。

以上に書いたように、1期目の理念は、「理念」のための「理念」だったと言えます。

第1期マニフェストには、これからの新城市の目指すべき穂積候補の最大の理念(以下の赤字)だったと思いますが、15年余が経った今、この主張が、いかに中身がなかったのかが分かります。

僕自身、めでたい人間でした。今までにないリーダーの出現だと思ってしまいました。

「このマニフェストのめざすものは、「公共」のあり方そのものの刷新です。国が認め、国が指示し、行政官庁が執行するものだけを公共と呼んできたのが、これまででした。

このため、公共サービスの拡充がたえず役所組織の肥大化を招き、役所の仕事づくりのために税金を投入するという本末転倒が横行していました。そしてその仕事の効果がほんとうの意味では検証されていないので、いたるところで公金のたれ流しが続いていたのです。

合併新市が誕生する今こそ、改革の最大のチャンスです。

公共の担い手は、官庁職員だけではありません。地域のために、隣人のために、子どもたちのために、何かをしたいと願うすべての市民が、公共の担い手です。

希望都市・新城は、その市民公共活動に税を振り向ける仕組みを創造します。

役所のムダを削ったり、職員数を削減したり、歳出カットをはかったりすることが、公共サービスの低下をまねき、弱者にしわ寄せをする結果になるのではなく、ゆとりと活力をあわせもった新たな公共空間を生む出発になる、そんな改革の道すじこそ、このマニフェストで提案したかったことです」


穂積市長は、第4期マニフェストに「同時に、新城・希望都市のマニフェストには第1期以来、変わることのない太い背骨が貫かれています」と掲げました。

以上の様に、僕の判断は、第1期マニフェストに偽りありです。その偽りが、第4期マニフェストまで変わることない太い背骨だったということでしょうか。

1期目から、貫かれていたものは、美辞麗句のマニフェスト、「できるかできないかは問題ではない。先進の市長という装いがあれば良い」という姿勢だったと思います。

第1期マニフェスト以外でも、特徴的だったのが、第3期マニフェストでした。

3期目挑戦の市長選は、新庁舎建設が争点になりました。批判の多い新庁舎建設を逆手に取ろうとしました。

穂積市長のマニフェストには、「新庁舎建設を『3本の矢』』の発射台に―地域の産業・住宅・新エネルギー開発の起爆剤に」と掲げ、新庁舎建設があれば、新城市のまちづくりが進むかのように訴えました。

3本の矢とは、①地域産業を強くして暮らしを立てられるまちをつくります、②住宅開発と住環境改善で住みやすいまちをつくります、③自然エネルギーの積極的な開発と利用を進めるまちをつくりということでした。

新庁舎は、住民投票で見直しを余儀なくされましたが、とにかく本体30億円(噂では、30億円を切ったら鹿島建設との約束違反。真偽は不明ですが、噂通りに進んだことに少々驚き)は死守しました。

発射台はできましたが、3本の矢はどこに飛んでいったのでしょうか?

1期目からの穂積市政のあり方は、4期を貫いています。新城市の現状は、心配した通りの結果です。

いくら問題を投げかけても、市長どころか、市政をチェックすべき議会も、「赤信号みんなで渡ればこわくない」状態でした。

15年強、新城市議会は、穂積市長提案の予算・決算は、一度も議会で否決どころか、修正させたことがありません。新城市議会が無くても何も市民生活には影響が出ないという悲しい現実があります。

4期15年の間、議会は眠っていただけです。穂積市長に持ち上げられれば、異論の一声も挙げられなかったということです。二元代表制は、穂積市長も議会も理解する気も、守る気もなかったということです。

それでも、議会の議員の一人である自分が、何もしないのでは、給料泥棒になってしまいます。

穂積市長との議論は、すれ違うだけで、議論のための議論になっていました。

議員としてできることは何かと考え、議会改革に取り組み(穂積市政2期目)、議会基本条例制定に動きました。

議員任期中の制定には至りませんでしたが、新議会(市長選に挑戦したため、議員ではありませんでした)で制定されました。

4年の議員空白を経て議員に復帰してみると、議会基本条例を理解できない議員が幅を利かせるようになっており、今度は、議会基本条例の全面的な見直しに動きました。

より具体的に議員の行動を縛る(市民に対して議員としてやるべきことを明確に宣言)ものにしようと考えました。市民のために議会の活動サイクルを明文化しようと考えたのです。

議会改革検討会議の副委員長として、全面的見直し案をほぼ完成させ、次期議会に「新」議会基本条例を渡せるかと思いましたが、最後の最後に見直し案はお蔵入りにされました。

市長がダメなら、議会を変えようと考えましたが、最後の最後に、現状維持を優先した議員たちの抵抗に屈しました。

市長選立候補のため、議会を離れることにしていましたので、誰が議員になっても、市民に役に立つ組織にしようとしましたが、もう少しでした。

今期の議会を見ていると、新城市議会を変える最後のチャンスだったかもしれません。

市長は4期目、議員も3期、4期が多数を占める状況です。

なって欲しくなくても、市民の判断ですから、僕の思うようにならないのは当然です。

このブログに寄せて頂いたコメントで知ったことですが、豊橋市長が、「多選自粛条例」を3月議会に出すという情報です。

実際に、豊橋市議会に提案されました。新城市にも、市長、議員に多選自粛条例が必要な状況にあると思います。

2期、3期やっても役に立たない人が、何期続けても役に立つはずはありません。どうも、市長も議員も既得権みたいになってしまいました。

一度市長、議員になると、自分で止めると言わない限り、いくら役に立たなくても、他人は余分なことは言わないでしょう。本人も、きっと居心地が良くなっているので、辞めるに辞められません。

若者に選ばれる自治体と逆の方向に進んでいます。「自治」をめざしたはずでしたが、現実は、従来の保守的な考えを温存してきたように思います。

次期選挙は、8ヵ月後(10月31日投票)にはやってきます。「こんなことが起きるなんて?」という驚きを祈ります。

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この記事へのコメント
市長の発言やスピーチを何度か聞いたことがあります。長々と、美辞麗句、小難しい言葉をちりばめて、立て板に水、さすがもとマル青だか革マルだかのアジテーター、人前でしゃべるのに慣れているという感じですが、

何一つ、心に訴えるものがありません。それと、話の中身がぜんぜん記憶に残らないんですよね。

化かされたような、けむに巻かれたような、結局何が言いたかったのかわからない、うわべだけの流暢さがかえってゾッとすることにある時、気がつきました。

そういえば、ありましたね~、山湊。

華々しく始まって、いつの間にかひっそり消えて行ったのは他にもあると思いますが、穂積市長16年で、いったいどれだけ税金を無駄遣いしたのか、カッコばっかりで中身がない事業がどれだけ増えたか。

市長は豊橋に家があって、そこから新城に通勤しているという話を聞きましたが(市内に住まない市長って…)、東京にも家があるんですか。そりゃ新城の将来や市民の暮らしなんか、身につまされるなんてことはぜんぜんなさそうですね。マル青で失敗した実験を田舎でやってみるか、ワンマンの独断市政、あとは知らん、飽きたら東京へトンずらするわ、って感じですか。
Posted by 匿名 at 2021年03月04日 10:14
穂積市長は今月の議会で「進退表明」をするそうですよ。

新城に住んで、市民の声を真剣に聞いて、新城のため、市民のための市政を地道に実行してくれる人に市長になってほしい。パフォーマンスや自己PRなんかに忙しい人は要りません。
Posted by 密 at 2021年03月04日 23:58
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