2022年09月07日
まともな大人が新城市政を担って欲しい
ほのか9月号を見ると、7月の出生数が3名となっています。子どもを産む女性が激減しているということです。
消滅可能性都市の定義に当てはまった新城市は、その後も具体的な対策が見えません。消滅可能性都市(全国の市町村1799のうち、896の市町村が2040年までに消滅する可能性があると推計されています)と言われてから、既に8年程が経ちました。
消滅可能性都市には厳密な定義がありました。
『2010年から2040年にかけて、20歳~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市町村が消滅可能性都市である』という定義です。
新城市では、明らかに若年女性に選ばれないまちになっており、若年女性を引き付ける魅力づくりが欠けているのです。
消滅可能性都市と言われてからの8年程、新城市は何をやっていたのでしょうか?
9月定例議会が始まりました。無意味な公式行事が始まったということです。
消滅可能性都市からの抜け出るために何が必要なのかを議論すべき定例議会が、粛々と決められた行事をこなすためだけの場所となっています。
ほとんどの議員は、市長(ほとんどの質問に対して市長が答弁せず、担当部長が勝手にしゃべっているように思います)との緊張感のないやり取りを繰り返すだけです。
今の新城市に求められる政策が何なのか?その政策実行にためにどうすべきなのか?など、より具体的な政策論争が求められているのに、市長のやり方に異を唱えることもなく、議員自らの掘り下げた政策提案もありません。
新城市が消滅可能性都市から抜けられない理由が、定例議会を見れば一目瞭然です。当然、気の抜けたような定例議会に市民の関心は薄れるばかりです。
それでも、今回の定例議会の一般質問には、僕の気を引いた質問がありました。
9月6日のカークランド陽子議員の新城市の有機農業についての質問です。この質問と答弁を聴くために、議会傍聴に行ってきました。
僕が議員時代、何度となく有機農業の大切さ、有機農業でのまちづくりの可能性を訴えてきました。
穂積市政16年間、ほとんど興味を示さなかった政策でもありました。
有機農業の可能性を訴える議員がいることに喜びを感じます。
カークランド陽子議員は、国において有機農業に舵を切るために進められている法律整備の動きから、先進自治体の実践事例、有機農業を環境、健康、まちづくりという大きな視点からの、調査・研究からの一般質問を展開しました。
世界の流れから見れば、有機農業は特別なものではなく、当たり前になる時代が来ています。
カークランド陽子議員は、「有機農業は、これまでイデオロギーとして考えられてきた面があったが、普通に求められる時代になってきた。まちづくりという視点から、より早く実践することで大きな成果が生まれる」(ことばは正確ではありません。僕の解釈)と強く訴えました(拍手)。
それに対する答弁は、従来の市政の域を出ることはありませでした。「国策に則り有機農業に関わってきた、今後も国、県の方向を見ながら対応する」という、自ら未来を切り開こうとする意志は見えてきませんでした。
行政が、ただ一つ実践したと言ったのは、有機農業推進法に基づき、新城有機農業の会への直接補償(栽培面積に対しての現金補償。国・県・新城市からの支援策)です。
新城有機農業の会は、今年4月時点で登録会員は、わずか13名。有機農業を実践している農家が会員登録しています。
13名の内、新城生まれは5人(僕もその一人)。8人は市外からの移住者です。有機農業は移住者を呼べる可能性があることを示しています。
新城市が、全国の有機農業を目指す若者を取り込むまちづくりを進めることができれば、人口減少に大きく歯止めをかける可能性はあります。
これまでの農業では、農家の高齢化は止まりません、集落の消滅は進みます、地産地消を進めると言っている給食センターができたとしても、食材を提供できる農家は消滅します、1次産業が消滅しては6次産業が成り立ちません、などなどの問題は解決できません。
下江市長は、市長選の公開討論会で主張しました。「有機農業も必要だと思うが、産業規模が小さ過ぎる。新城市は工業優先が大事」。
僕の市長選の主要な政策の一つが、有機農業によるまちづくりでした。
下江市長が主張した「工業優先」で、どの様に消滅可能性都市から抜け出ることができるのか、下江マニフェストからはその道筋は見えません。絵にも書けないマニフェストだったと思います。
地球環境の悪化を考えれば、永遠と伸び行くと信じさせられた大量生産・大量消費が、不可能であることは明らになっています。
新城市の9割程度を占める山、農地の活用を考えない限り、本当に消滅してしまうかもしれません。資源はあるのです。どう活かすかが将来を決めます。
これまで、世界の有機農業の流れを無視してきた国も無視できなくなっています。より早く有機農業から拡がるまちづくりを始める時です。
新城市には、まだまだ小さな力ですが、有機農業に取り組む農家がいます。
行政と農家が10年後、20年後の新城市を構想し、その取り組みを全市民にひろげ(食教育、6次産業、健康づくり、集落の維持、観光などなど)、新城市のまちづくりを進めていくことが、消滅可能性都市から抜け出る道だと考えています。
新城市政の大問題は、いくら可能性が見えても自らその可能性に挑戦しないことです。市民からの提案があろうと、批判があろうと、耳を貸そうとしません。
自分たちの決めた(本当に少数の人間たちが決めている)方向は何が何でも変えたくないのです。
自治基本条例で、市民自治社会を作るという挑戦に踏み出したはずでしたが、市民自治どころか民主主義が劣化を続けています。
神戸女学院大名誉教授の内田樹さんが、民主主義について中日新聞の「視座」に書いていました。
「民主主義を貫く理由は何?」という青年の疑問に、内田さんが考えを書いています。
「ご指摘の通り民主制はあまり出来のよくない制度です。それは国民の一定数が『まともな大人』でないと機能しない制度だからです。身銭を切ってでも民主制を守ることが自分の責務と思わない人(つまり『子ども』)の比率がある閾値を超えると民主制は終わります。帝政や王政や貴族政では、少数の統治者だけが『まともな大人』であれば、残るすべての国民が幼児であっても国は治まります」と書いています。
新城市に当てはめると、民主制の終焉が近づいているのではと思えてきます。
給食センター事業に典型的に見られます。
「市民との情報共有、市民が主人公と自治基本条例で規定しながら、市民の声は聴かず、情報提供もしない(市民に聴いたら自校方式を求める声が多数になることを心配したのか?)」
「総額費用もわからないまま事業は決定(安倍総理の国葬前提の費用を示さないやり方と同じようですね)」
「給食センター建設費用と自校方式継続費用の比較検討は行わず、とにかく給食センター建設を選択してしまった(比較検討したら自校方式の方が安いかも)」
「境界確定もせずに図面を引いてしまう(個人宅建設でもありえない対応)」
「子ども激減(設計時約3500人が5年後には約2500人)、施設は早期に過大施設になることを検討しないまま40億円の箱物建設優先(子ども激減対策を考えた上で給食センター建設検討ではないの?)」
「給食センターになれば、食中毒発生などの問題が解決されると言うが、各地の給食センターで食中毒などが発生し、何ヵ月も給食提供が大規模に止まっていることは言及しない(給食センター建設決定の理由付け?)」
「給食センターになれば、食中毒発生などの問題が解決されると言うが、新城市の自校方式でそれらの問題が起きていないことには聞かれるまでは黙っている(給食センターのメリットなの?)」
「給食センターになれば地産地消の給食が進むと言うが、これまで地産地消が進まなかった『農家の高齢化』『天候不順』『形・大きさの不揃い』という対策は今後考える(少量供給でも対応ができなかったのに、大量発注ではさらに地産地消は困難なのでは?)」
「給食センターで食教育を進めると言うが、具体的な食教育の理念は今後検討する(理念なしで進めている事実が箱物ありきの証明?)」
まさにまともでない大人たちが、「給食センターを作る」ということ(誰かの指示があったの?と勘繰りたくなる)だけで計画づくりを進めているという状況です。
まともでない計画にお墨付きを与えているのが、まともでない大人たちの集まりである議会となっています。
民主主義が成熟すれば、様々な議論を戦わせ、最善の方向を導き出せるはずですが、議論を否定する新城市政では、まともな政策が提案されないまま、消滅可能性都市への道をまっしぐらです。
内田さんが言われる「賢い独裁者(民主主義の徹底を進め、消滅可能性都市からの脱却への提案ができる市長、を期待します)」が、民主主義の度合いを上げない限り、新城市の現状は変わらないと考えています。
新城市議会の9月定例会の議場には、40名ぐらいの議員、市長、部長がいます。新城市の政策を決定できる人たちです。
この中に「まともな大人」が何人いるかと考えると空恐ろしくなります。
「賢い独裁者」の登場を切に願っています。
消滅可能性都市の定義に当てはまった新城市は、その後も具体的な対策が見えません。消滅可能性都市(全国の市町村1799のうち、896の市町村が2040年までに消滅する可能性があると推計されています)と言われてから、既に8年程が経ちました。
消滅可能性都市には厳密な定義がありました。
『2010年から2040年にかけて、20歳~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市町村が消滅可能性都市である』という定義です。
新城市では、明らかに若年女性に選ばれないまちになっており、若年女性を引き付ける魅力づくりが欠けているのです。
消滅可能性都市と言われてからの8年程、新城市は何をやっていたのでしょうか?
9月定例議会が始まりました。無意味な公式行事が始まったということです。
消滅可能性都市からの抜け出るために何が必要なのかを議論すべき定例議会が、粛々と決められた行事をこなすためだけの場所となっています。
ほとんどの議員は、市長(ほとんどの質問に対して市長が答弁せず、担当部長が勝手にしゃべっているように思います)との緊張感のないやり取りを繰り返すだけです。
今の新城市に求められる政策が何なのか?その政策実行にためにどうすべきなのか?など、より具体的な政策論争が求められているのに、市長のやり方に異を唱えることもなく、議員自らの掘り下げた政策提案もありません。
新城市が消滅可能性都市から抜けられない理由が、定例議会を見れば一目瞭然です。当然、気の抜けたような定例議会に市民の関心は薄れるばかりです。
それでも、今回の定例議会の一般質問には、僕の気を引いた質問がありました。
9月6日のカークランド陽子議員の新城市の有機農業についての質問です。この質問と答弁を聴くために、議会傍聴に行ってきました。
僕が議員時代、何度となく有機農業の大切さ、有機農業でのまちづくりの可能性を訴えてきました。
穂積市政16年間、ほとんど興味を示さなかった政策でもありました。
有機農業の可能性を訴える議員がいることに喜びを感じます。
カークランド陽子議員は、国において有機農業に舵を切るために進められている法律整備の動きから、先進自治体の実践事例、有機農業を環境、健康、まちづくりという大きな視点からの、調査・研究からの一般質問を展開しました。
世界の流れから見れば、有機農業は特別なものではなく、当たり前になる時代が来ています。
カークランド陽子議員は、「有機農業は、これまでイデオロギーとして考えられてきた面があったが、普通に求められる時代になってきた。まちづくりという視点から、より早く実践することで大きな成果が生まれる」(ことばは正確ではありません。僕の解釈)と強く訴えました(拍手)。
それに対する答弁は、従来の市政の域を出ることはありませでした。「国策に則り有機農業に関わってきた、今後も国、県の方向を見ながら対応する」という、自ら未来を切り開こうとする意志は見えてきませんでした。
行政が、ただ一つ実践したと言ったのは、有機農業推進法に基づき、新城有機農業の会への直接補償(栽培面積に対しての現金補償。国・県・新城市からの支援策)です。
新城有機農業の会は、今年4月時点で登録会員は、わずか13名。有機農業を実践している農家が会員登録しています。
13名の内、新城生まれは5人(僕もその一人)。8人は市外からの移住者です。有機農業は移住者を呼べる可能性があることを示しています。
新城市が、全国の有機農業を目指す若者を取り込むまちづくりを進めることができれば、人口減少に大きく歯止めをかける可能性はあります。
これまでの農業では、農家の高齢化は止まりません、集落の消滅は進みます、地産地消を進めると言っている給食センターができたとしても、食材を提供できる農家は消滅します、1次産業が消滅しては6次産業が成り立ちません、などなどの問題は解決できません。
下江市長は、市長選の公開討論会で主張しました。「有機農業も必要だと思うが、産業規模が小さ過ぎる。新城市は工業優先が大事」。
僕の市長選の主要な政策の一つが、有機農業によるまちづくりでした。
下江市長が主張した「工業優先」で、どの様に消滅可能性都市から抜け出ることができるのか、下江マニフェストからはその道筋は見えません。絵にも書けないマニフェストだったと思います。
地球環境の悪化を考えれば、永遠と伸び行くと信じさせられた大量生産・大量消費が、不可能であることは明らになっています。
新城市の9割程度を占める山、農地の活用を考えない限り、本当に消滅してしまうかもしれません。資源はあるのです。どう活かすかが将来を決めます。
これまで、世界の有機農業の流れを無視してきた国も無視できなくなっています。より早く有機農業から拡がるまちづくりを始める時です。
新城市には、まだまだ小さな力ですが、有機農業に取り組む農家がいます。
行政と農家が10年後、20年後の新城市を構想し、その取り組みを全市民にひろげ(食教育、6次産業、健康づくり、集落の維持、観光などなど)、新城市のまちづくりを進めていくことが、消滅可能性都市から抜け出る道だと考えています。
新城市政の大問題は、いくら可能性が見えても自らその可能性に挑戦しないことです。市民からの提案があろうと、批判があろうと、耳を貸そうとしません。
自分たちの決めた(本当に少数の人間たちが決めている)方向は何が何でも変えたくないのです。
自治基本条例で、市民自治社会を作るという挑戦に踏み出したはずでしたが、市民自治どころか民主主義が劣化を続けています。
神戸女学院大名誉教授の内田樹さんが、民主主義について中日新聞の「視座」に書いていました。
「民主主義を貫く理由は何?」という青年の疑問に、内田さんが考えを書いています。
「ご指摘の通り民主制はあまり出来のよくない制度です。それは国民の一定数が『まともな大人』でないと機能しない制度だからです。身銭を切ってでも民主制を守ることが自分の責務と思わない人(つまり『子ども』)の比率がある閾値を超えると民主制は終わります。帝政や王政や貴族政では、少数の統治者だけが『まともな大人』であれば、残るすべての国民が幼児であっても国は治まります」と書いています。
新城市に当てはめると、民主制の終焉が近づいているのではと思えてきます。
給食センター事業に典型的に見られます。
「市民との情報共有、市民が主人公と自治基本条例で規定しながら、市民の声は聴かず、情報提供もしない(市民に聴いたら自校方式を求める声が多数になることを心配したのか?)」
「総額費用もわからないまま事業は決定(安倍総理の国葬前提の費用を示さないやり方と同じようですね)」
「給食センター建設費用と自校方式継続費用の比較検討は行わず、とにかく給食センター建設を選択してしまった(比較検討したら自校方式の方が安いかも)」
「境界確定もせずに図面を引いてしまう(個人宅建設でもありえない対応)」
「子ども激減(設計時約3500人が5年後には約2500人)、施設は早期に過大施設になることを検討しないまま40億円の箱物建設優先(子ども激減対策を考えた上で給食センター建設検討ではないの?)」
「給食センターになれば、食中毒発生などの問題が解決されると言うが、各地の給食センターで食中毒などが発生し、何ヵ月も給食提供が大規模に止まっていることは言及しない(給食センター建設決定の理由付け?)」
「給食センターになれば、食中毒発生などの問題が解決されると言うが、新城市の自校方式でそれらの問題が起きていないことには聞かれるまでは黙っている(給食センターのメリットなの?)」
「給食センターになれば地産地消の給食が進むと言うが、これまで地産地消が進まなかった『農家の高齢化』『天候不順』『形・大きさの不揃い』という対策は今後考える(少量供給でも対応ができなかったのに、大量発注ではさらに地産地消は困難なのでは?)」
「給食センターで食教育を進めると言うが、具体的な食教育の理念は今後検討する(理念なしで進めている事実が箱物ありきの証明?)」
まさにまともでない大人たちが、「給食センターを作る」ということ(誰かの指示があったの?と勘繰りたくなる)だけで計画づくりを進めているという状況です。
まともでない計画にお墨付きを与えているのが、まともでない大人たちの集まりである議会となっています。
民主主義が成熟すれば、様々な議論を戦わせ、最善の方向を導き出せるはずですが、議論を否定する新城市政では、まともな政策が提案されないまま、消滅可能性都市への道をまっしぐらです。
内田さんが言われる「賢い独裁者(民主主義の徹底を進め、消滅可能性都市からの脱却への提案ができる市長、を期待します)」が、民主主義の度合いを上げない限り、新城市の現状は変わらないと考えています。
新城市議会の9月定例会の議場には、40名ぐらいの議員、市長、部長がいます。新城市の政策を決定できる人たちです。
この中に「まともな大人」が何人いるかと考えると空恐ろしくなります。
「賢い独裁者」の登場を切に願っています。