2018年05月13日
政治倫理審査会設置の請求のその後
山崎議員の領収書偽造が新聞報道されて2ヶ月ほどが過ぎました。数日前の新聞報道では、関係団体から交付金2年分と罰金が新城市に納付されたようです。
市民からは、新城市議会政治倫理条例に基づいて、千名余の署名を添えて、政治倫理審査会設置が請求されました。必要な署名数は、有権者の100分の1以上(約400名)です。現在5月末をめどに、新城市選挙管理委員会により署名数の確定を進めています。
政治 倫理審査会設置を請求された議会は、相変わらず自らの調査には動いていません。5月11日、議会運営委員会名で、倫理審査会設置請求者の加藤前議員に、請求資料についての聞き取りが求められました。「なぜ、議会運営委員会が、事前に請求者を呼ぶのか?」と疑問に感じ、聞き取りの場に同席しました。
議会運営委員会の聞き取りの趣旨は、「より慎重に審査に入りたい」「議会運営委員会のメンバーから、申請資料について確認したい」「事前審査の目的はない」などが強調されました。
政治倫理条例では、「申請資料と共に必要な署名数をもって政治倫理審査会設置を申請することができる」、となっています。条例から言えば、議長の諮問による議会運営委員会での聞き取りは明記されていません。
「事前審査ではない」と言いながら、「申請資料についての説明を申請者から聞きたい」と強調していました。説明を申請者から聞くことは、まさに事前審査に当たるのではないかと心配しました。
新城市議会政治倫理条例の優れた点は、「有権者の100分1以上署名をもって必要書類を添付できれば自動的に政治倫理審査会が議会の議決無しで設置できる点」にあると考えています。しかし、政治倫理審査会設置の前に、議会運営委員会が申請者からの聞き取りを行うようになれば、申請書類の是非、申請内容の可否まで拡大解釈される可能性が考えられます。
議会運営委員会のメンバーの発言から、善意で今回の場を設定したかのような印象を持ちましたが、一番大切なことは、政治倫理条例をその通りに解釈することです。「政治倫理条例の不備があり、今見直しを進めている」との説明もありましたが、十分な検討をしないまま、現議員の善意な気持ちだろうと、条例の勝手な解釈をすべきではありません。
一度、おかしな前例を作れば、今後どんな議員が誕生するかわからないことを考えれば、政治倫理条例が後退しかねません。市民の政治参加を阻む役割を果たしてきたのが、議会でもありました。地方自治法でも、住民参加を保障している住民投票の規定(有権者の50分の1以上の賛同署名)があるものの、最後の決定は議会でした。
そもそも住民が住民投票を求める状況は、首長、議会に求めても受け入れてもらえない時です。この状況で、いくら必要な署名数を集めても、住民の声を受け入れなかった議会が住民投票を認める可能性は高くないことは容易に理解できると思います。
以上のことから考えたのは、せっかく議会の議決無しで、政治倫理条例設置が可能な条例なのに、わざわざ議会運営委員会を登場させることは、今後の条例運用に余計な議論を生んでしまうということです。請求者4人で心配した点を投げかけた結果、この日の議会運営委員会の聞き取りは中止になりました。
今回の聞き取りに至った議会運営委員会の説明から、議会改革の認識の低さを指摘せざるを得ません。「市民自治」を強調するのであれば、どの様に市民参加を広げていくのかの方向付けが必要になります。市民の意見を抑えるのではなく、市民理解のための最善の努力が議会に求められているのです。
その求めに議会は応えきれていません。「地域活動交付金の不正活用」という行為を議員自身が行ったにも関わらず、未だに自らの調査を行っていません。それどころか、市民レベルで調査した資料に、口を開けて待っているだけの議会が物を言おうとしていたのです。
議会としての必要な態度は、必要署名数を満たしていれば、即座に政治倫理審査会を設置し、請求者からの資料と共に、議会自らの努力で具体的な事実を洗い出し、必要な結論を導き出すことです。
市長は、山崎議員たちの交付金返還で事を済ませようとしているように思います。中途半端な対応は、市民のあきらめを広げても、市民自治を進めることはできません。一部の市民のための一部の市民による市民自治にしかならないでしょう。
「税金の不正流用(領収書偽造、目的外使用)をした議員が野放しで良いわけがない」と多くの市民は思っています。政治倫理条例違反は明らかです。議会に求められているのは、山崎議員の政治倫理違反審査以上に、地域活動交付金の運用実態の調査・検討です。
地域活動交付金事業は、新城市の市民自治を広げる有効な施策だと考えています。運用方法によっては、新城市の人口減少対策、若者の雇用対策など永続可能な自治体づくりにもつながるものです。そのためには、市民、議会、行政の明確な目的意識が必要です。
今回の山崎議員問題は、まさに地域活動交付金事業の暗部をあぶり出しました。議会のより掘り下げた検証を、市民の協力を仰ぎながら、真摯に徹底して行ってほしいと思います。それこそが「議会改革」そのものと言えるのではないでしょうか。
文責:白井 倫啓
市民からは、新城市議会政治倫理条例に基づいて、千名余の署名を添えて、政治倫理審査会設置が請求されました。必要な署名数は、有権者の100分の1以上(約400名)です。現在5月末をめどに、新城市選挙管理委員会により署名数の確定を進めています。
政治 倫理審査会設置を請求された議会は、相変わらず自らの調査には動いていません。5月11日、議会運営委員会名で、倫理審査会設置請求者の加藤前議員に、請求資料についての聞き取りが求められました。「なぜ、議会運営委員会が、事前に請求者を呼ぶのか?」と疑問に感じ、聞き取りの場に同席しました。
議会運営委員会の聞き取りの趣旨は、「より慎重に審査に入りたい」「議会運営委員会のメンバーから、申請資料について確認したい」「事前審査の目的はない」などが強調されました。
政治倫理条例では、「申請資料と共に必要な署名数をもって政治倫理審査会設置を申請することができる」、となっています。条例から言えば、議長の諮問による議会運営委員会での聞き取りは明記されていません。
「事前審査ではない」と言いながら、「申請資料についての説明を申請者から聞きたい」と強調していました。説明を申請者から聞くことは、まさに事前審査に当たるのではないかと心配しました。
新城市議会政治倫理条例の優れた点は、「有権者の100分1以上署名をもって必要書類を添付できれば自動的に政治倫理審査会が議会の議決無しで設置できる点」にあると考えています。しかし、政治倫理審査会設置の前に、議会運営委員会が申請者からの聞き取りを行うようになれば、申請書類の是非、申請内容の可否まで拡大解釈される可能性が考えられます。
議会運営委員会のメンバーの発言から、善意で今回の場を設定したかのような印象を持ちましたが、一番大切なことは、政治倫理条例をその通りに解釈することです。「政治倫理条例の不備があり、今見直しを進めている」との説明もありましたが、十分な検討をしないまま、現議員の善意な気持ちだろうと、条例の勝手な解釈をすべきではありません。
一度、おかしな前例を作れば、今後どんな議員が誕生するかわからないことを考えれば、政治倫理条例が後退しかねません。市民の政治参加を阻む役割を果たしてきたのが、議会でもありました。地方自治法でも、住民参加を保障している住民投票の規定(有権者の50分の1以上の賛同署名)があるものの、最後の決定は議会でした。
そもそも住民が住民投票を求める状況は、首長、議会に求めても受け入れてもらえない時です。この状況で、いくら必要な署名数を集めても、住民の声を受け入れなかった議会が住民投票を認める可能性は高くないことは容易に理解できると思います。
以上のことから考えたのは、せっかく議会の議決無しで、政治倫理条例設置が可能な条例なのに、わざわざ議会運営委員会を登場させることは、今後の条例運用に余計な議論を生んでしまうということです。請求者4人で心配した点を投げかけた結果、この日の議会運営委員会の聞き取りは中止になりました。
今回の聞き取りに至った議会運営委員会の説明から、議会改革の認識の低さを指摘せざるを得ません。「市民自治」を強調するのであれば、どの様に市民参加を広げていくのかの方向付けが必要になります。市民の意見を抑えるのではなく、市民理解のための最善の努力が議会に求められているのです。
その求めに議会は応えきれていません。「地域活動交付金の不正活用」という行為を議員自身が行ったにも関わらず、未だに自らの調査を行っていません。それどころか、市民レベルで調査した資料に、口を開けて待っているだけの議会が物を言おうとしていたのです。
議会としての必要な態度は、必要署名数を満たしていれば、即座に政治倫理審査会を設置し、請求者からの資料と共に、議会自らの努力で具体的な事実を洗い出し、必要な結論を導き出すことです。
市長は、山崎議員たちの交付金返還で事を済ませようとしているように思います。中途半端な対応は、市民のあきらめを広げても、市民自治を進めることはできません。一部の市民のための一部の市民による市民自治にしかならないでしょう。
「税金の不正流用(領収書偽造、目的外使用)をした議員が野放しで良いわけがない」と多くの市民は思っています。政治倫理条例違反は明らかです。議会に求められているのは、山崎議員の政治倫理違反審査以上に、地域活動交付金の運用実態の調査・検討です。
地域活動交付金事業は、新城市の市民自治を広げる有効な施策だと考えています。運用方法によっては、新城市の人口減少対策、若者の雇用対策など永続可能な自治体づくりにもつながるものです。そのためには、市民、議会、行政の明確な目的意識が必要です。
今回の山崎議員問題は、まさに地域活動交付金事業の暗部をあぶり出しました。議会のより掘り下げた検証を、市民の協力を仰ぎながら、真摯に徹底して行ってほしいと思います。それこそが「議会改革」そのものと言えるのではないでしょうか。
文責:白井 倫啓
2018年05月08日
新城市を覆う閉塞感
穂積市長が誕生して13年目に入っています。「自治」のまちを目指して、自治基本条例、自治区、若者議会、女性議会などが動いています。
現在の新城市は、見せかけの「自治」が動いているように感じています。「自治」の行く先には、永続可能な地域の実現があると信じていました。「自治」を掲げて登場した穂積市長に期待した新城市民は少なからずいたはずです。
新城市の未来が描けているでしょうか?年々寂れていく中心市街地(新城駅周辺)。先が見えない農林業。夢の実現のために進学した若者は、市内で夢が描けず市外へ転出。毎年500人前後の人口減で地域維持にも赤信号。人口減で新城単独では国民健康保険(県全域で対応へ)も介護保健(東三河連合で対応へ)も維持できず。
「穂積流自治」とは何だったのか?自治関連で毎年1億何千万円の税金が使われています。成果は何?誰が成果を評価するの?市長の役割は?行政は何をしているの?議会は何のために存在しているの?
先が見えません。新城市の将来を考えだすと、閉塞感に襲われます。なぜ、問題を具体的に解決するための議論にならないのか?不思議です。
それでも「自治」が進んだと評価する(思い込み?)識者まで存在します。結果が伴わない「自治」をなぜ評価できるのか考えられません。
「自治」の砦と自慢していた新庁舎は、住民投票で大幅見直しをせざるをえなくなりました。「自治」と言いながら、新庁舎建設議論は、一部の市民を巻き込んだものの、結果は行政主導の域を出ていなかったことが、住民投票で明白になりました。
それでも、市長も議会も行政職員も「自治」を声高に叫び続けています。市長に言っても何ともならない、議会に行っても市長の方しか見ていない、当然行政職員の見る方向は決まっている、どうしようもないから、住民投票だったのです。
新城市の現状を冷静に分析できれば、呑気なことを言っている状況ではありません。しかし、市長も議会も具体的な行動を示すことはありません。
新城アライアンス会議を当面の目玉施策にしているようですが、この会議の結果、新城市にどの様な変化を期待しているのか?見えてきません。
「自治」に早急な成果を求めてはいけないという声もあります。いつか、きっと、どこかで「自治」の成果は生まれるかもしれません(可能性はほとんど無いと思います)。一番の確かな道は、市民自らが新城市の現状を理解し、その現状を打開する方向に踏み出すことです。その結果、永続可能な新城市の実現が見えてきます。
市民にその覚悟をもってもらうことこそ、「自治」だと考えています。頭で考えるだけでなく、実践が「自治」の中身を豊かにしていきます。市長も議会も、その実践方向を市民に示していません。
最後は「みなさんが考えるのです。それが自治です」と逃げてきました。最初に穂積市長が口にした「自治」に期待した市民が完全に後ろを向く前に、方向転換を期待したいものですが、市長も議会も従来通りで終わりそうに思います。
「自治」の実践で自慢していた「地域活動交付金事業」に大きなほころびが生じています。山崎議員の領収書偽造問題です。市長も議会も重大な問題と言いながら、自らは徹底調査を行っていません。結局、政治不信を増幅させている政治の常套手段、「トカゲのしっぽ切り」で事を済ませようとしているように思います。山崎議員が間違いを犯しただけで、他の事業に問題はないと言いたいのでしょう。
山崎議員みたいに、自分のために地域活動交付金を活用しても、領収書さえ偽造しなければ、成果を問われることもないのが、地域活動交付金事業です。費用対効果を重要視していない事業の見直しは避けて通れません。しかし、その見直しの動きは市長にも議会にも見えてきません。
市長にも議会にも期待できない状況を感じている市民は、僕だけではないでしょう。何とかしたいから、声を挙げている市民はまだいます。「今の新城市、何かおかしい?」と思う市民をどの様に増やしていくか、悩ましい問題です。今の新城市を牛耳っている方たち(市長、議員、行政幹部職員、市長を盲目的に信じている市民など)が、「ゆでガエル」状態にならないことを祈るばかりです。
文責:白井倫啓
現在の新城市は、見せかけの「自治」が動いているように感じています。「自治」の行く先には、永続可能な地域の実現があると信じていました。「自治」を掲げて登場した穂積市長に期待した新城市民は少なからずいたはずです。
新城市の未来が描けているでしょうか?年々寂れていく中心市街地(新城駅周辺)。先が見えない農林業。夢の実現のために進学した若者は、市内で夢が描けず市外へ転出。毎年500人前後の人口減で地域維持にも赤信号。人口減で新城単独では国民健康保険(県全域で対応へ)も介護保健(東三河連合で対応へ)も維持できず。
「穂積流自治」とは何だったのか?自治関連で毎年1億何千万円の税金が使われています。成果は何?誰が成果を評価するの?市長の役割は?行政は何をしているの?議会は何のために存在しているの?
先が見えません。新城市の将来を考えだすと、閉塞感に襲われます。なぜ、問題を具体的に解決するための議論にならないのか?不思議です。
それでも「自治」が進んだと評価する(思い込み?)識者まで存在します。結果が伴わない「自治」をなぜ評価できるのか考えられません。
「自治」の砦と自慢していた新庁舎は、住民投票で大幅見直しをせざるをえなくなりました。「自治」と言いながら、新庁舎建設議論は、一部の市民を巻き込んだものの、結果は行政主導の域を出ていなかったことが、住民投票で明白になりました。
それでも、市長も議会も行政職員も「自治」を声高に叫び続けています。市長に言っても何ともならない、議会に行っても市長の方しか見ていない、当然行政職員の見る方向は決まっている、どうしようもないから、住民投票だったのです。
新城市の現状を冷静に分析できれば、呑気なことを言っている状況ではありません。しかし、市長も議会も具体的な行動を示すことはありません。
新城アライアンス会議を当面の目玉施策にしているようですが、この会議の結果、新城市にどの様な変化を期待しているのか?見えてきません。
「自治」に早急な成果を求めてはいけないという声もあります。いつか、きっと、どこかで「自治」の成果は生まれるかもしれません(可能性はほとんど無いと思います)。一番の確かな道は、市民自らが新城市の現状を理解し、その現状を打開する方向に踏み出すことです。その結果、永続可能な新城市の実現が見えてきます。
市民にその覚悟をもってもらうことこそ、「自治」だと考えています。頭で考えるだけでなく、実践が「自治」の中身を豊かにしていきます。市長も議会も、その実践方向を市民に示していません。
最後は「みなさんが考えるのです。それが自治です」と逃げてきました。最初に穂積市長が口にした「自治」に期待した市民が完全に後ろを向く前に、方向転換を期待したいものですが、市長も議会も従来通りで終わりそうに思います。
「自治」の実践で自慢していた「地域活動交付金事業」に大きなほころびが生じています。山崎議員の領収書偽造問題です。市長も議会も重大な問題と言いながら、自らは徹底調査を行っていません。結局、政治不信を増幅させている政治の常套手段、「トカゲのしっぽ切り」で事を済ませようとしているように思います。山崎議員が間違いを犯しただけで、他の事業に問題はないと言いたいのでしょう。
山崎議員みたいに、自分のために地域活動交付金を活用しても、領収書さえ偽造しなければ、成果を問われることもないのが、地域活動交付金事業です。費用対効果を重要視していない事業の見直しは避けて通れません。しかし、その見直しの動きは市長にも議会にも見えてきません。
市長にも議会にも期待できない状況を感じている市民は、僕だけではないでしょう。何とかしたいから、声を挙げている市民はまだいます。「今の新城市、何かおかしい?」と思う市民をどの様に増やしていくか、悩ましい問題です。今の新城市を牛耳っている方たち(市長、議員、行政幹部職員、市長を盲目的に信じている市民など)が、「ゆでガエル」状態にならないことを祈るばかりです。
文責:白井倫啓