2021年01月02日
騙されて続けて15年か?
今年は、衆議院選挙があります。コロナ禍で露呈した政治力の無さに多くの国民が落胆しました。
どの政党がやっても変わらないというあきらめの声は多数です。しかし選挙はあります。
新城市でも11月には市長選・市議選があります。
穂積市政は、4期目のマニフェストに対する答えの通り、具体的な実績が見えていません。
穂積市長は、「人口増は求めない。高齢者の年金を考えれば、年金という財源が新城市にはある。このお金の活用を考える」などと話しています。その老人もどんどん減少しています。人の懐に期待するような市長でいいのでしょうか?
市議会は、この3年間、政治倫理審査会の乱発に見られるように、議員間での戦い(?)ばかりで、市政のチェックも提案も不十分でした。市議会への質問の答えから明らかなように、議会としての市長選マニフェストの評価、チェック、提案が無かったのです。旧来の市長応援議会に逆戻りしています。
市長、議会による市民のための改革が失われている状況では、新城市の活力が失われていくことは必然と言えます。本来力を出すべき人たちが自分のことばかりに目が向いています。
穂積市長が、何人かの共著で本(市長候補者による公開討論会条例の制定経過)を出しました。もしかしたら、今年の市長選を睨んでのことでしょうか?
この本を読むと、穂積市長が新城市の救世主でなかったことが良く分かります。
「自治」は語られています。しかし、その「自治」が新城市再生に何の意味があったのでしょうか?
穂積市政4期目の3年が過ぎたので、マニフェストの到達を質問し、その回答も出ています。
回答から見えてくるのは、マニフェストのためのマニフェストであって、新城再生のためのマニフェストになっていません。
これまで、このブログでも何度も書いてきましたが、穂積市長の「自治」は、新城に食い込むための戦略だったいうことだと思います。
穂積市長の新城市長選初挑戦が、新城市合併直後の市長選でした。
旧新城市は、山本市政4期14年が続き、補助金行政の限界が見えてきていました。多選批判の多くの声も出ていました。
補助金行政の最後は、将来展望のない新城駅前から南に延ばそうとする栄町線の拡幅工事でした。
この工事は今も完成していません。当然ですが、車社会の到来を期待した時代の計画が成り立つはずがないのです。
にも関わらず、栄町線事業へ更なる国の補助金の呼び水として、「まちなみ情報館」建設事業を推し進め、億を超える市税を浪費してしまいました(情報館として、多くのパソコンを導入したものの、有効活用ができずいつの間にか、地域の交流センターになり、いつの間にか若者の交流センター化)。
山本市政は、パフォーマンス事業も熱心でした。その最たるものが、「新城サミット」でした。一市民が言った「世界の新城市を集めたら」という言葉で始まった事業でした。市民から多数の批判が集まり、山本市政4期目を目指した市長選で、新人候補者に肉薄されるほどの不人気の事業でした。
行政と市民出資の株式会社「山湊」という事業もありました。日本初の取組と宣伝し、多くの視察、取材を受けましたが、今や影も形もありません。穂積市長が、「自治」といううたい文句で始めた「地域自治区」「若者議会」 に似ています。
多くの市民の中に「いい加減にしろ。山本市政では新城市がダメになる」という声が渦巻いていた状況でした。
そこへ登場したのが穂積さんでした。
「これまで通りを前提無しで見直す」「自治」「行政を市民のために」という意欲的なマニフェストを訴え、これまで通りの団体推薦で票をまとめようとする従来型の選挙を繰り返す山本市政の後継候補を破ったということです。
この市長選での穂積さんの選挙は、市民にも魅力的に映っていたはずです。選挙運動の主体は、それぞれの意志で支えていた市民だったと思います。穂積さんは、街頭演説でもこれまでにないやり方でした。
市内各所でマニフェストを情熱的に語り、ある場所では長時間、語り続けました。
この演説が話題になり、市民の口から口へ伝わっていきました。「新城市が変わるかもしれない」と多くの市民は期待したと思います。
正直、僕も「これで新城市が変わる」と思い、まちづくりを進めていた仲間と共に市長室を訪れ、新城市の未来を語ったこともありました。
当時、僕も議員に当選し、穂積市長との一般質問に取り組みました。穂積市長と議論するたびに、温度差を感じるようになりました。
「自治」を語るだけで、具体的な構想が語れない穂積市長の姿を見るようになりました。
「これまで通りを前提無しで見直す」はずでしたが、大善寺の前の広いイベント道路を作り、「新城サミット」は名前を変えて継続中です。庁舎建設では、一度決めた計画は、市民の多くが見直しを求めても、自らの計画を見直そうとはしませんでした。
批判が集まっていた山本市政の補助金行政が、それを否定したはずの穂積市長により蘇った感じがします。
パフォーマンスのように見える「地域自治区」「若者議会」は、行政丸抱えのような事業として続いています。「自治」と言いながら、裏方で働く職員無しでは成りたたない事業です。
年間億を超える税金が、「自治」の名のもとに使われています。
最初に税金で活動を保障したため、「金が保障されているから何か事業を考えよう」という地域の動きが生まれ、最初の頃の計画は、公民館のエアコン、トイレなど、本来は地域自らの資金でやるべき備品整備に使われていくことになりました。
「こんなことでも認められるの?」という疑問の声がある中で、事業は粛々と進められていきました。
「若者議会」こそ、極端な行政丸抱え事業となっていきました。若者議会議員には物的補償がされているにも関わらず、市民に実感される実績が見えていません。「内申書にアピールするために議員になる」という高校生の声も聞こえてきました。
若者の市政参加を広げたいのであれば、若者議会を作らなくてもやり方はいくらでもあったでしょう。まさに穂積市政のパフォーマンス事業と言えます。
結局、穂積市政は、新城市に密着したまちづくり構想がありませんでした。どこの自治体でも言える「自治」という美しい言葉で終始していたように思います。結果を見れば言い過ぎではないでしょう。
人口減少に歯止めがかからないだけではなく、「人口増は考えない。高齢者の年金に期待する」などと言い出しているのです。高齢者の年金と言っても、その年金をどの様に新城市での消費に活かしてもらうという構想がありません。
不思議です。「自治」に期待した自分でしたが、穂積市長の「自治」に騙されたように思います。
7年前には、庁舎建設見直しを求めて議員に戻り、住民投票により見直しが実現しました。結果が、住民投票での見直し多数となり、市長、議会の「市民が主人公」という看板に偽りありとなりました。この時の穂積市長の「自治が育っていたから住民投票が実現された」との言葉には呆れました。
本を出版したと書きました。この本に「こんな選挙をやっていてはダメだ、とつくづく思っている」という穂積市長の声が紹介されていました。
こんな選挙というのは、「笑顔と握手、夢のオンパレード」「選挙で大事なのは、政策でなく笑顔と握手である」というものとして書かれています。
そんな選挙を変えるために、市長候補者による公開政策討論会条例の提案だったということだということです。
何を言っているかと思いました。3年前の選挙での穂積市長の対応はどうだったのでしょうか?
穂積市長のマニフェストの到達から見れば、「夢のオンパレード」。
建設業関係など各種団体からの応援、行政を通しての票まとめ(行政職員の自由意思表明ができない)、地域有力者を同伴した地域訪問など、「こんな選挙ではダメだ」と言っている選挙を自ら推し進めていたのです。
大事なのは、公開討論会条例をつくることではなく、市民が自らまちづくりを考え、自ら行動するというあるべき「自治」を作りあげることです。
穂積市長は、特定の市民たちだけを「自治」という名目で支援してきました。市政参加への市民意識はむしろ低下しているように思います。何をやっても無理というあきらめの意識を4期15年で広げたとも言えます。
もう、穂積市政ではこの新城市は成行きに任せるしかなくなります。市民が考えないと「消滅可能性都市」という状況は変わりようがありません。
「自治」のための「自治」ではなく、新城市のまちづくりをするために市民自ら考え、自ら動くという流れを作る必要があります。そのまちづくりを成功させるために、まちづくりの方向を指し示すリーダーの存在と「自治」という意識づくりが不可欠です。
過疎地域のまちづくりのポイントで言われることがあります。「一番の問題は、心までが過疎になることだ。地域の資源を掘り起こそうとする前向きの心が必要だ」というポイントです。
いまの新城市には、あきらめが蔓延しています。このあきらめの気持ちを前に向かせることができる、市長、議員の誕生を願うばかりです。
どの政党がやっても変わらないというあきらめの声は多数です。しかし選挙はあります。
新城市でも11月には市長選・市議選があります。
穂積市政は、4期目のマニフェストに対する答えの通り、具体的な実績が見えていません。
穂積市長は、「人口増は求めない。高齢者の年金を考えれば、年金という財源が新城市にはある。このお金の活用を考える」などと話しています。その老人もどんどん減少しています。人の懐に期待するような市長でいいのでしょうか?
市議会は、この3年間、政治倫理審査会の乱発に見られるように、議員間での戦い(?)ばかりで、市政のチェックも提案も不十分でした。市議会への質問の答えから明らかなように、議会としての市長選マニフェストの評価、チェック、提案が無かったのです。旧来の市長応援議会に逆戻りしています。
市長、議会による市民のための改革が失われている状況では、新城市の活力が失われていくことは必然と言えます。本来力を出すべき人たちが自分のことばかりに目が向いています。
穂積市長が、何人かの共著で本(市長候補者による公開討論会条例の制定経過)を出しました。もしかしたら、今年の市長選を睨んでのことでしょうか?
この本を読むと、穂積市長が新城市の救世主でなかったことが良く分かります。
「自治」は語られています。しかし、その「自治」が新城市再生に何の意味があったのでしょうか?
穂積市政4期目の3年が過ぎたので、マニフェストの到達を質問し、その回答も出ています。
回答から見えてくるのは、マニフェストのためのマニフェストであって、新城再生のためのマニフェストになっていません。
これまで、このブログでも何度も書いてきましたが、穂積市長の「自治」は、新城に食い込むための戦略だったいうことだと思います。
穂積市長の新城市長選初挑戦が、新城市合併直後の市長選でした。
旧新城市は、山本市政4期14年が続き、補助金行政の限界が見えてきていました。多選批判の多くの声も出ていました。
補助金行政の最後は、将来展望のない新城駅前から南に延ばそうとする栄町線の拡幅工事でした。
この工事は今も完成していません。当然ですが、車社会の到来を期待した時代の計画が成り立つはずがないのです。
にも関わらず、栄町線事業へ更なる国の補助金の呼び水として、「まちなみ情報館」建設事業を推し進め、億を超える市税を浪費してしまいました(情報館として、多くのパソコンを導入したものの、有効活用ができずいつの間にか、地域の交流センターになり、いつの間にか若者の交流センター化)。
山本市政は、パフォーマンス事業も熱心でした。その最たるものが、「新城サミット」でした。一市民が言った「世界の新城市を集めたら」という言葉で始まった事業でした。市民から多数の批判が集まり、山本市政4期目を目指した市長選で、新人候補者に肉薄されるほどの不人気の事業でした。
行政と市民出資の株式会社「山湊」という事業もありました。日本初の取組と宣伝し、多くの視察、取材を受けましたが、今や影も形もありません。穂積市長が、「自治」といううたい文句で始めた「地域自治区」「若者議会」 に似ています。
多くの市民の中に「いい加減にしろ。山本市政では新城市がダメになる」という声が渦巻いていた状況でした。
そこへ登場したのが穂積さんでした。
「これまで通りを前提無しで見直す」「自治」「行政を市民のために」という意欲的なマニフェストを訴え、これまで通りの団体推薦で票をまとめようとする従来型の選挙を繰り返す山本市政の後継候補を破ったということです。
この市長選での穂積さんの選挙は、市民にも魅力的に映っていたはずです。選挙運動の主体は、それぞれの意志で支えていた市民だったと思います。穂積さんは、街頭演説でもこれまでにないやり方でした。
市内各所でマニフェストを情熱的に語り、ある場所では長時間、語り続けました。
この演説が話題になり、市民の口から口へ伝わっていきました。「新城市が変わるかもしれない」と多くの市民は期待したと思います。
正直、僕も「これで新城市が変わる」と思い、まちづくりを進めていた仲間と共に市長室を訪れ、新城市の未来を語ったこともありました。
当時、僕も議員に当選し、穂積市長との一般質問に取り組みました。穂積市長と議論するたびに、温度差を感じるようになりました。
「自治」を語るだけで、具体的な構想が語れない穂積市長の姿を見るようになりました。
「これまで通りを前提無しで見直す」はずでしたが、大善寺の前の広いイベント道路を作り、「新城サミット」は名前を変えて継続中です。庁舎建設では、一度決めた計画は、市民の多くが見直しを求めても、自らの計画を見直そうとはしませんでした。
批判が集まっていた山本市政の補助金行政が、それを否定したはずの穂積市長により蘇った感じがします。
パフォーマンスのように見える「地域自治区」「若者議会」は、行政丸抱えのような事業として続いています。「自治」と言いながら、裏方で働く職員無しでは成りたたない事業です。
年間億を超える税金が、「自治」の名のもとに使われています。
最初に税金で活動を保障したため、「金が保障されているから何か事業を考えよう」という地域の動きが生まれ、最初の頃の計画は、公民館のエアコン、トイレなど、本来は地域自らの資金でやるべき備品整備に使われていくことになりました。
「こんなことでも認められるの?」という疑問の声がある中で、事業は粛々と進められていきました。
「若者議会」こそ、極端な行政丸抱え事業となっていきました。若者議会議員には物的補償がされているにも関わらず、市民に実感される実績が見えていません。「内申書にアピールするために議員になる」という高校生の声も聞こえてきました。
若者の市政参加を広げたいのであれば、若者議会を作らなくてもやり方はいくらでもあったでしょう。まさに穂積市政のパフォーマンス事業と言えます。
結局、穂積市政は、新城市に密着したまちづくり構想がありませんでした。どこの自治体でも言える「自治」という美しい言葉で終始していたように思います。結果を見れば言い過ぎではないでしょう。
人口減少に歯止めがかからないだけではなく、「人口増は考えない。高齢者の年金に期待する」などと言い出しているのです。高齢者の年金と言っても、その年金をどの様に新城市での消費に活かしてもらうという構想がありません。
不思議です。「自治」に期待した自分でしたが、穂積市長の「自治」に騙されたように思います。
7年前には、庁舎建設見直しを求めて議員に戻り、住民投票により見直しが実現しました。結果が、住民投票での見直し多数となり、市長、議会の「市民が主人公」という看板に偽りありとなりました。この時の穂積市長の「自治が育っていたから住民投票が実現された」との言葉には呆れました。
本を出版したと書きました。この本に「こんな選挙をやっていてはダメだ、とつくづく思っている」という穂積市長の声が紹介されていました。
こんな選挙というのは、「笑顔と握手、夢のオンパレード」「選挙で大事なのは、政策でなく笑顔と握手である」というものとして書かれています。
そんな選挙を変えるために、市長候補者による公開政策討論会条例の提案だったということだということです。
何を言っているかと思いました。3年前の選挙での穂積市長の対応はどうだったのでしょうか?
穂積市長のマニフェストの到達から見れば、「夢のオンパレード」。
建設業関係など各種団体からの応援、行政を通しての票まとめ(行政職員の自由意思表明ができない)、地域有力者を同伴した地域訪問など、「こんな選挙ではダメだ」と言っている選挙を自ら推し進めていたのです。
大事なのは、公開討論会条例をつくることではなく、市民が自らまちづくりを考え、自ら行動するというあるべき「自治」を作りあげることです。
穂積市長は、特定の市民たちだけを「自治」という名目で支援してきました。市政参加への市民意識はむしろ低下しているように思います。何をやっても無理というあきらめの意識を4期15年で広げたとも言えます。
もう、穂積市政ではこの新城市は成行きに任せるしかなくなります。市民が考えないと「消滅可能性都市」という状況は変わりようがありません。
「自治」のための「自治」ではなく、新城市のまちづくりをするために市民自ら考え、自ら動くという流れを作る必要があります。そのまちづくりを成功させるために、まちづくりの方向を指し示すリーダーの存在と「自治」という意識づくりが不可欠です。
過疎地域のまちづくりのポイントで言われることがあります。「一番の問題は、心までが過疎になることだ。地域の資源を掘り起こそうとする前向きの心が必要だ」というポイントです。
いまの新城市には、あきらめが蔓延しています。このあきらめの気持ちを前に向かせることができる、市長、議員の誕生を願うばかりです。
Posted by みちひろ at 17:54│Comments(6)
│日々の活動
この記事へのコメント
騙す市長もありえませんが、騙される市民もおかしいですよ。4期16年ってありえない。新城は住みにくくなるばっかりです。
市長は今度の市長選に出るつもりなのかどうか、本当に新城市民が目を覚ましてほしいです。5期目なんてことになったら、新城終わりです。
市長が例の市長立候補者の公開討論会について、これこそ選挙のあるべき姿だとか、市民自治を発展させると言ってるようですね。ローカル新聞社に売り込んでるんですか。市民自治なんか新城市民の中にぜんぜん広がってないですよ。強制的になんとか委員とかやらされてるだけです。公開討論会も本質を見失いそうです。
とにかく新年からこんな自画自賛ばかりの市長にうんざりです。
市長は今度の市長選に出るつもりなのかどうか、本当に新城市民が目を覚ましてほしいです。5期目なんてことになったら、新城終わりです。
市長が例の市長立候補者の公開討論会について、これこそ選挙のあるべき姿だとか、市民自治を発展させると言ってるようですね。ローカル新聞社に売り込んでるんですか。市民自治なんか新城市民の中にぜんぜん広がってないですよ。強制的になんとか委員とかやらされてるだけです。公開討論会も本質を見失いそうです。
とにかく新年からこんな自画自賛ばかりの市長にうんざりです。
Posted by 一市民 at 2021年01月06日 07:23
コメントありがとうございます。
1月3日、再質問のメールを企画政策課に送りました。
今回は、回答を受け取り後、担当課に出向くことを伝えました。
年度内には、締めたいと思います。
1月3日、再質問のメールを企画政策課に送りました。
今回は、回答を受け取り後、担当課に出向くことを伝えました。
年度内には、締めたいと思います。
Posted by みちひろ
at 2021年01月06日 18:57

しんしろでコロナ感染者が出るたびに市長が防災無線でしゃべっていますけど、なんであんなにダラダラ長いんですかね。ほとんど毎回同じことをコピーしてわかりきったことを延々としゃべっているだけで、うるさくて無線を切ってます市長がしゃべり始めると。市民をうんざりさせるだけで中身がないというか、こんな重大なお知らせをキッチリやっている自分に酔っているんですかね。市長の挨拶はまあずっとそんな感じでしたね。内容よりもやっているというポーズが大事という。新しい市長を選びたいけど、穂積市長がめちゃくちゃやってきた後始末たいへんすぎて、だれか立候補してくれるかどうか。。。
Posted by 無題 at 2021年01月20日 23:22
カーボンニュートラルで言えば、LEDに関して私は、世界でトップレベルだと思っています。
しかし市役所でも、商工会でもこれを活かすことを考える事ができない。
仕事が出来れば、そこに人も集まります。
テレワークといっても、都会に住んで田舎(新城市)の会社に勤めるも有りですし、教育も多様性の芽が生まれつつあります。
自然という最高の贈り物がありながら、なんでいつまでも、昔の生活スタイルから脱皮できないのでしょうか?
政治と言う、泥臭い混沌に関わりたくはないけれど、市民のことを考えれば、それこそ再度「山湊」考えても良い時期にあると思うのですが。
しかし市役所でも、商工会でもこれを活かすことを考える事ができない。
仕事が出来れば、そこに人も集まります。
テレワークといっても、都会に住んで田舎(新城市)の会社に勤めるも有りですし、教育も多様性の芽が生まれつつあります。
自然という最高の贈り物がありながら、なんでいつまでも、昔の生活スタイルから脱皮できないのでしょうか?
政治と言う、泥臭い混沌に関わりたくはないけれど、市民のことを考えれば、それこそ再度「山湊」考えても良い時期にあると思うのですが。
Posted by クール at 2021年01月21日 11:35
5期目を考えているということが聞こえてきています。
穂積さんが、新城市に執着する目的を市民が考える必要があるのですが、そこを伝える方法が難しいところです。
市内の知恵が活かされないことに、もどかしさを感じています。
穂積さんが、新城市に執着する目的を市民が考える必要があるのですが、そこを伝える方法が難しいところです。
市内の知恵が活かされないことに、もどかしさを感じています。
Posted by みちひろ
at 2021年01月22日 08:35

5期目。。。長期政権の弊害そのものではないですか。新城をなんかの実験にでもしているのですかね。その実験も失敗だらけで、いい迷惑ですわ。でも、4期16年でここまで廃れた新城で、まだ今の市長に投票しそうな市民がいる。。。新城の民度はこんなですか。
40人目のコロナ感染者が出ましたけど、市長の挨拶かなり短くなった感じでしたね。ここのブログを読んでいたりして(笑)。市長についてストレートな意見を出したりコメントが書けたりするのは新城でここくらいですから、白井さんが気になるんじゃないですかね。パフォーマンス命な人は中身を問い詰められるとびくびくするもんですよ。
40人目のコロナ感染者が出ましたけど、市長の挨拶かなり短くなった感じでしたね。ここのブログを読んでいたりして(笑)。市長についてストレートな意見を出したりコメントが書けたりするのは新城でここくらいですから、白井さんが気になるんじゃないですかね。パフォーマンス命な人は中身を問い詰められるとびくびくするもんですよ。
Posted by 無題 at 2021年01月23日 00:06