2018年09月29日
新城市功労者として表彰されました
9月29日、功労者表彰式が開催されました。
新城市功労者表彰条例に基づく表彰者が7名(内1人が僕です)、新城市教育委員会表彰規則に基づく表彰者が5名、新城市感謝状贈呈要綱に基づく感謝状贈呈者が23名でした。
毎年多くの方が表彰されてきました。これらの方が、新城市の目指すべき方向を共有できれば大きくまちづくりの流れを変えることができると思いますが、善意の思いがそれぞれの人で終結しているように感じています。
僕の表彰基準は、市議会議員として12年以上在籍したことによるものです。実質14年間、市議会議員を務めさせてもらいました。長く新城市政に関わることができたのも多くの方のご支援のおかげです。僕個人だけの表彰でないと考え、表彰を受けることにしました。
振り返ってみれば、議員として市政に関わり出してから19年の月日が過ぎました。19年間の会社員にピリオドを打ったのが42歳でしたが、社会に出てからの半分の年月が新城市政と関わったことになります。
最初の選挙は、「議員になって自らの努力で新城市政を変えることができる」と期待を持ちながらの立候補でした。不思議なことに、落選した時の不安はあまり感じていませんでした。まだ42歳で、「何とかなるさ」という感じでした。
周りの方が真剣に支援に取り組んでくれた結果だったと思います。市議選4回、市長選2回に取り組みました。多くの方の献身的なご支援で、何の後悔(市長選の敗戦は残念でしたが)も残していません。自分としては、精一杯取り組んだと思っています。
市議選の3回は日本共産党公認で取り組みましたが、4回目の市議選、市長選2回は無所属で取り組みました。最初の市長選の時、自らの信念を通し共産党を離れ、それ以後は共産党には是々非々の立場を取っています。
市政に関わり出して19年間、自分の頭で考え納得できることを前提に新城市政に向き合ってきたつもりです。簡単に言えば「良いものは良い、悪いものは悪い」とい立場を取ってきたということです。
長く党籍を置いてきた共産党を離れたのも、新城市政への関わり方の違いでした。新城市政を変えるのは、共産党のためではなく、新城市民のためなのです。新城市民が幸福になれば、引いては全国の地方政治に影響を与えるでしょう。国政を変えれば、地方が変わるかもしれませんが、地方が変わることが国政を変える一番の近道と考えています。
自分が大切にしてきたことは、筋を曲げないこと、自分の納得できる行動をとることです。その中で、市民が自立することが要だと考えていました。周りとの議論はもちろん大事ですが、最後は自分で考え抜き、結論を持つということです。
2回目の市長選で愕然としたことがあります。合併して12年が経過し、多くの市民の目にも新城市の衰退の実態が見えているものと思いました。市長選は、いよいよ政策選挙になると信じていましたが、見事に期待を裏切られたように感じました。
「あの人は共産党だから」という声が依然として聞こえてきたのです。政策の前に、その人間を決めつけるという状況が、政策判断を閉ざしていたように思います。「良いものは良い、悪いものは悪い」という当たり前な判断(個人の意見を明確にするということ)ができない限り、議論は豊かにならないでしょう。
新城市だけではなく、多くの市町村、国レベルでも、多くの情報を取捨選択し、自らの考えを明確にする人が、まだまだ少ないように思います。「政治は誰のため」「物わかりの良い大人になるということ」に、自立(政治への参加に対して)への願いを込めて投稿しました。
新城市は呑気に構えていられる状況に無いことを市民多数が意識して欲しいというのが、僕の19年間からの願いです。新城市を変えるのは、一人一人の市民です。その先頭に立つべきは、選挙で選ばれた市長、議員であることは言うまでもありません。
功労者表彰を受けた今の思いです。市政に長年関われたことに感謝しています。
文責:白井倫啓
新城市功労者表彰条例に基づく表彰者が7名(内1人が僕です)、新城市教育委員会表彰規則に基づく表彰者が5名、新城市感謝状贈呈要綱に基づく感謝状贈呈者が23名でした。
毎年多くの方が表彰されてきました。これらの方が、新城市の目指すべき方向を共有できれば大きくまちづくりの流れを変えることができると思いますが、善意の思いがそれぞれの人で終結しているように感じています。
僕の表彰基準は、市議会議員として12年以上在籍したことによるものです。実質14年間、市議会議員を務めさせてもらいました。長く新城市政に関わることができたのも多くの方のご支援のおかげです。僕個人だけの表彰でないと考え、表彰を受けることにしました。
振り返ってみれば、議員として市政に関わり出してから19年の月日が過ぎました。19年間の会社員にピリオドを打ったのが42歳でしたが、社会に出てからの半分の年月が新城市政と関わったことになります。
最初の選挙は、「議員になって自らの努力で新城市政を変えることができる」と期待を持ちながらの立候補でした。不思議なことに、落選した時の不安はあまり感じていませんでした。まだ42歳で、「何とかなるさ」という感じでした。
周りの方が真剣に支援に取り組んでくれた結果だったと思います。市議選4回、市長選2回に取り組みました。多くの方の献身的なご支援で、何の後悔(市長選の敗戦は残念でしたが)も残していません。自分としては、精一杯取り組んだと思っています。
市議選の3回は日本共産党公認で取り組みましたが、4回目の市議選、市長選2回は無所属で取り組みました。最初の市長選の時、自らの信念を通し共産党を離れ、それ以後は共産党には是々非々の立場を取っています。
市政に関わり出して19年間、自分の頭で考え納得できることを前提に新城市政に向き合ってきたつもりです。簡単に言えば「良いものは良い、悪いものは悪い」とい立場を取ってきたということです。
長く党籍を置いてきた共産党を離れたのも、新城市政への関わり方の違いでした。新城市政を変えるのは、共産党のためではなく、新城市民のためなのです。新城市民が幸福になれば、引いては全国の地方政治に影響を与えるでしょう。国政を変えれば、地方が変わるかもしれませんが、地方が変わることが国政を変える一番の近道と考えています。
自分が大切にしてきたことは、筋を曲げないこと、自分の納得できる行動をとることです。その中で、市民が自立することが要だと考えていました。周りとの議論はもちろん大事ですが、最後は自分で考え抜き、結論を持つということです。
2回目の市長選で愕然としたことがあります。合併して12年が経過し、多くの市民の目にも新城市の衰退の実態が見えているものと思いました。市長選は、いよいよ政策選挙になると信じていましたが、見事に期待を裏切られたように感じました。
「あの人は共産党だから」という声が依然として聞こえてきたのです。政策の前に、その人間を決めつけるという状況が、政策判断を閉ざしていたように思います。「良いものは良い、悪いものは悪い」という当たり前な判断(個人の意見を明確にするということ)ができない限り、議論は豊かにならないでしょう。
新城市だけではなく、多くの市町村、国レベルでも、多くの情報を取捨選択し、自らの考えを明確にする人が、まだまだ少ないように思います。「政治は誰のため」「物わかりの良い大人になるということ」に、自立(政治への参加に対して)への願いを込めて投稿しました。
新城市は呑気に構えていられる状況に無いことを市民多数が意識して欲しいというのが、僕の19年間からの願いです。新城市を変えるのは、一人一人の市民です。その先頭に立つべきは、選挙で選ばれた市長、議員であることは言うまでもありません。
功労者表彰を受けた今の思いです。市政に長年関われたことに感謝しています。
文責:白井倫啓
Posted by みちひろ at 17:26│Comments(2)
│日々の活動
この記事へのコメント
新城市の税金がまた上がるという噂はほんとですか。知り合いが市の上の方の人から聞いたと言うんですが。事業主からの税収が減って、人口も減ってるから個人からの税収も減っていて、でも高齢化がすごいスピードで進んでしまっていて社会保障費が全然足らなくて、赤字がかさんでいるからだと。新城は今でも健康保険も固定資産税も安くないのに。消費税も来年10月に上がることがほぼ決定らしいし、今以上に新城の税金が上がれば暮らしにくくなって、出て行く人がもっと増える。人口はもっと減って新城はホントに消滅してしまう。消滅可能都市と予想されたときよりも早く、人口減と高齢化と町全体の衰退で、北海道の夕張市みたいになってしまうのではと心配です。
Posted by みつを at 2018年10月14日 18:58
深刻な状況だと思います。
ご指摘の通り、少子高齢化で税収が減り、ますます新城市財政は自由度が無くなることは明らかです。今でも、新城市の自由に使えるお金は、支出の10%程度しかありません。
インフラの維持さえ危うい状況です。なのに、具体的な対策が見えてきません。若者の流出を防ぐ手立て(雇用の確保)を最優先で打たなければ、新城市を担う世代が確保できなくなります。
穂積市長は、4年間で1000人の雇用を確保すると公約しましたが、1年が過ぎても実現の可能性がみえません。
若者議会、地域自治区などでお茶を濁さず、具体的な振興策を示して欲しいと思います。議会の危機感の無さがさらに心配です。
ご指摘の通り、少子高齢化で税収が減り、ますます新城市財政は自由度が無くなることは明らかです。今でも、新城市の自由に使えるお金は、支出の10%程度しかありません。
インフラの維持さえ危うい状況です。なのに、具体的な対策が見えてきません。若者の流出を防ぐ手立て(雇用の確保)を最優先で打たなければ、新城市を担う世代が確保できなくなります。
穂積市長は、4年間で1000人の雇用を確保すると公約しましたが、1年が過ぎても実現の可能性がみえません。
若者議会、地域自治区などでお茶を濁さず、具体的な振興策を示して欲しいと思います。議会の危機感の無さがさらに心配です。
Posted by みちひろ
at 2018年10月28日 11:31
